久慈の久喜浜ではイワシが豊漁でシメ粕で埋まる(昭和32年10月3日)
1957年10月3日
2022年4月3日
昭和32年10月3日のデーリー東北より。
おなじ10月3日の紙面では、となりの種市の八木港がサバの不漁となっていた時、久慈の久喜浜ではイワシが豊漁であった。
連日1万貫もの水揚げがあり、魚油を絞った後に肥料に使うシメ粕の加工に主婦や子供達は忙しかった。
シメカスは1貫230円前後で売れるのだという。
昭和32年10月3日のデーリー東北より。
おなじ10月3日の紙面では、となりの種市の八木港がサバの不漁となっていた時、久慈の久喜浜ではイワシが豊漁であった。
連日1万貫もの水揚げがあり、魚油を絞った後に肥料に使うシメ粕の加工に主婦や子供達は忙しかった。
シメカスは1貫230円前後で売れるのだという。