岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日)
1959年8月17日
2022年4月18日
昭和34年8月17日の岩手東海新聞より。
明治39年、釜石鉱山田中製鉄所を創設した横山久太郎は「大船渡鉄道よりも鉄の都・釜石を結べ」と力説した。
そして大正4年、岩手軽便鉄道は花巻~仙人峠間に開通した。
しかし、仙人峠がそれを遮っていた。
戦後・釜石・遠野・花巻の3市は釜石線全通期成同盟を結成させた。鉄道省には10万人の署名簿が運び込まれた。
昭和25年10月10日、釜石まで全通することとなり釜石市民は狂喜した。
明治39年から50年以上が経ち、釜石線にはディーゼルカーが走っており、花巻まで2時間で行ける。
この時点の課題として残っていたのは、臨港線の敷設問題であった。
この臨港線の開通で、釜石から送る生鮮魚類のコストはより下がろうと考えられていた。