岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日)

昭和34年8月17日の岩手東海新聞より。

明治39年、釜石鉱山田中製鉄所を創設した横山久太郎は「大船渡鉄道よりも鉄の都・釜石を結べ」と力説した。

そして大正4年、岩手軽便鉄道は花巻~仙人峠間に開通した。

しかし、仙人峠がそれを遮っていた。

戦後・釜石遠野・花巻の3市は釜石線全通期成同盟を結成させた。鉄道省には10万人の署名簿が運び込まれた。

昭和25年10月10日、釜石まで全通することとなり釜石市民は狂喜した。

明治39年から50年以上が経ち、釜石線にはディーゼルカーが走っており、花巻まで2時間で行ける。

この時点の課題として残っていたのは、臨港線の敷設問題であった。

この臨港線の開通で、釜石から送る生鮮魚類のコストはより下がろうと考えられていた。

 

 


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