昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日)

昭和34年9月16日の岩手日報より。

この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。

盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。

  1. 盛岡~仙台の準急1往復
  2. 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両
  3. 山田線をディーゼルカーの走っている線区にするために9両
  4. 大船渡線を全部ディーゼルカーにするため24両

これに対し、東北支社としては盛鉄局関係は以下の通り検討したという。

  1. 盛岡~仙台の準急1往復
  2. 山田線をディーゼルカーの走っている線区にするために9両
  3. 大船渡線を全部ディーゼルカーにするため24両
  4. 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両
  5. 花輪線の混雑緩和のための3両

盛鉄局では「山田線のディーゼル化までは当確だろう」とほっと一息という感じだ多様である。

山田線は、釜石市や宮古市など沿線市町村の利用債引き受けで昭和35年2月に3両が導入され、盛岡~釜石の1往復をディーゼル化するところから始めるという。
もしこの要望が通って9両のディーゼルカーが入ったら、盛岡~宮古間は全部ディーゼルカーとし、4往復を5往復にして所要時間を従来の3時間から30~40分にする予定であるという。

1個列車は勾配に強いキハ55型2両、1台エンジンのキハ26型1両の3両編成で、後部の1両を小本線に乗り入れさせ浅内や押角まで1往復ずつ走らせる計画であるという。
(ということは片運転台のキハ55を浅内や押角で方向転換させる?)

順位の低い大船渡線も、24両とはいかなくても10両ずつ導入して徐々にという計画も立てていたようであった。

 

 


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