宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日)
昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。
岩手県沿岸地方の住民が待ち望んだ上野行の急行「陸中」号が運転を開始した。
22日の朝7:10に上野を出発した「みやぎの」号は仙台を12:52に出発、15:27に花巻で「陸中」を切り離す。
釜石線内では2両編成の「陸中」号は、釜石駅に17:13に到着した。
釜石駅では歓迎アーチを飾って、この上野駅から直通する急行列車を歓迎し、運転手に花束を贈った。
そして釜石第二中学校ブラスバンド部員が行進曲を演奏して一番列車を歓迎した。
また、上りの「陸中」号は、宮古を10:30に出発、釜石駅には12:02に到着し、3分停車の後に上野に出発して行った。
そして花巻で盛岡からの「みやぎの」に連結して上野には22:38に到着するという。
上りの一番列車には、宮古から33人、陸中山田から2人、大槌から7人乗り、大槌からの客は花巻まで1人、仙台まで3人、東京まで3人という内訳で、そのうちの1人は「私は商用でいくがとても快適だ」と語ったという。
ダイヤは以下のとおり。
- 下り:上野7:10~仙台12:42着/12:52発~一ノ関14:28~花巻15:22着/15:27発~遠野16:23~陸中大橋16:54~釜石17:13着/17:16発~大槌17:36~陸中山田18:03~宮古18:47
- 上り:宮古10:34~陸中山田11:17~大槌11:43~釜石12:02着/12:05発~陸中大橋12:29~遠野13:03~花巻14:00着/14:19発~一ノ関15:14~仙台16:15着/17:10発~上野22:38
記事によれば「国鉄では処女列車を祝い、この日新車を走らせた」ということであるが、この新車とは、キハ58のことであろうか。
Wikipediaの「キハ58」に関する項を見てみると、
いわく、
1961年4月にキハ56系が根室本線の「狩勝」で、7月にはキハ57系が信越本線の「志賀」で、そして10月にはキハ58系が中央東線・大糸線の「アルプス」で、それぞれ急行列車として営業運転を開始した。以後、キハ56系・キハ58系は毎年100 – 200両単位での大量増備が続けられ、日本各地の非電化区間の急行列車に多数投入された。
7月の時点ではまだキハ55が主流だろうか。
とはいえ、キハ55の製造最終年は昭和33年であるともいうしで・・・?