岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(S37.1.12岩手民声新聞)

昭和37年1月の岩手民声新聞1000号記念号を読み解くと当時の地方メディアのあり方が鮮明に浮かび上がってきます。紙面中央に鎮座する岩手日報社からの祝賀広告は、一地方の週刊紙が県域紙からも一目置かれる存在であったことを物語っています。当時の岩手日報社長である宮福次郎氏らの名が並ぶその佇まいからは、言論の府としての矜持と地域社会における新聞の重みが伝わってくるようです。

この紙面で特筆すべき点は、一般的な新聞の代名詞ともいえる事件や事故のニュースが一切見当たらないことでしょう。背景には農村地帯特有の濃密な人間関係があったと推察されます。誰もが顔見知りであるコミュニティにおいて、誰かの不祥事を活字にすることはその家族や親戚の生活を根底から揺るがしかねない行為でした。波風を立てることを嫌い、調和を重んじる農村社会の暗黙の了解が、編集方針に色濃く反映されていたのかもしれません。

また、速報性を要する事件は日刊の岩手日報に任せ、週刊の岩手民声新聞はより深掘りした論考や啓蒙に注力していたことも読み取れます。左上のコラムに見られる安保条約や国交回復に関する鋭い言説からは、単なる情報の伝達者ではなく、地域住民の意識を高めようとする指導者的な役割を自任していたことが伺えます。

農業政策や昇給に関する細かな数字の羅列、そして1000号という節目を祝う大きな文字。そこにあるのはスキャンダリズムとは無縁の、地域一丸となって文化の灯を守り、より良い未来を模索しようとする当時の江刺の人々の誠実な姿です。事件がないからこそ見える、当時の穏やかで骨太な共同体の体温がこの1枚に凝縮されています。


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