宮古市役所の火事で市民サークルがとばっちり(S42.11.18岩手東海新聞)
1967年11月18日
2025年12月8日
昭和42年11月18日の岩手東海新聞には、宮古市の「行政インフラが総崩れになった」ような緊迫した様子が記されていました。

当時、宮古市役所で火災が発生し、庁舎は使用不能になってしまいます。
そのため市役所の各課は、公民館へと“疎開”する形で急遽移転。しかし、公民館はもともと市民サークルや学習会の拠点。部屋をすべて行政に明け渡すことになり、利用していたグループは青空の下で活動するか、泣く泣く中止するしかない状況に追い込まれていました。
一方、スポーツ拠点として期待されていた新築の「錬成館」は、建物こそ完成していたものの照明設備がまだ整わず、夜間は使えないという中途半端な状態。市民の活動拠点不足はますます深刻になっていました。
こうした事態を受け、宮古市教育委員会は建設が遅れていた新しい公民館計画を急ピッチで進め、青写真(設計案)を公表。昭和43年6月の完成を目標に掲げました。
しかし、市役所そのものが焼失している以上、公民館だけでなく市役所再建も並行して進めねばなりません。限られた予算と人員の中でどこまで同時に復旧できるのか、不安まじりに見守られていたことが記事からもうかがえます。
火災をきっかけに、市民生活・行政機能・地域文化が一度に揺らいだ昭和42年の宮古。その混乱と、再建へ向けた動きが記録された一枚でした。