大槌町の帳場婦人強盗殺害事件(昭和43年4月1日)

末広町の商店街で

大槌町の末広町は、大槌町の中心街にある商店街である。

当たり前ながら国道45号線大槌バイパスはなく、大槌大橋すらなかったので、当時の大槌町内の国道45号線のルートは、釜石市室浜から大槌町白石を経て、須賀町の踏切を渡って、末広町を抜けて安渡橋へ行くというルートとなる。

その末広町の商店街にある製材所の帳場の58歳の女将が刺され、血まみれになりながら隣の自転車店に入ってきた。

「骨が、骨が・・・!」

急遽、大槌病院に運ばれたものの、死亡が確認された。

通報

釜石警察署では、この年の1月に発生した独居老人殺人事件が3月11日に解決し、つかの間の平和が訪れていた。

そして4月の人事で刑事係長が赴任し、管内である大槌方面の視察へ行くことにしていた。
当時であれば鳥屋坂トンネルも古廟坂トンネルもないので、室浜経由の旧道となる。

そして室浜を過ぎ、大槌湾が見えたあたりで、やたらパトカーをコールする音が聞こえてくる。

「・・・釜石61、応答せよ、釜石61、応答せよ・・・」
「呼んでますね」
「エイプリルフールだから殺人でも発生したとか言ってくるんじゃないか?」
「ハハハ」

詳しく聞いてみることにする。

「大槌町で殺人事件発生、直ちに派出所に急行せよ」

犯行時の状況

被害者となった58歳の夫人は、子供たちがすべて独立してしまい61歳の夫と2人暮らしだった。

その製材所に、以前雇っていた17歳の少年が、隠していたマットレスと丹前を取りに来たところ、製材所の社長と作業員に見つかり「泥棒!」となったのである。

これに対し少年が逆ギレ、刃物を振り回して「泥棒扱いしやがって!おら釜石さ行ぐ!」と言って出ていったのだという。

もう犯人は明確だった。

スピード逮捕

事件は既に隣接の宮古警察署にも連絡されていた。

少年が北に逃げるとすれば歩いてくるであろう国道45号線で網を張って待っていると、山田町の船越のあたりを挙動のおかしい少年が歩いてくる。

船越の駐在所員が少年に声をかける。

果たして、その少年は手配がかかっている、大槌町で殺人を犯した少年だった。

逮捕時刻はその日の23時。

少年とは思えない態度

事件を報じた岩手東海新聞でも、「苦闘 昭和の事件簿」でも、共通して書いているのは「少年とは思えないふてぶてしい態度」であったという。

少年は、生活保護を受けるような極貧の家庭で育ち、異母兄弟に囲まれて育つ複雑な家庭でもあった。

中学校を卒業して製材所に働いている間も、被害者となった夫人の夫からも小馬鹿にしたように扱われていた。
それで前々から恨みに思っていた、というのである。

それで、帳場の旦那さんを殺そうと前々から思っていた。

当日は、前述のマットレスや丹前の件で社長や作業員と刃物沙汰を起こしてしまい、こうなったら帳場強盗してでも・・・ と思って帳場に行くと、奥さんしかいなかったというのである。

「頼まれで来たぁども、金よこせってだ」
「おめえなんかさ誰ぁ頼むもんだって」
「何このー!今日給料日だべ!」
「おらえの旦那ほぁ今出張さ行っていねえがぇ!?」
「1万円出せこのー!」

いざ刺すと物凄い形相で叫んでいる。

恐ろしくなって金もとらずに逃げてきたのだった。

犯人を知る人

当ブログ管理人の身近な所に、その事件を知っている人がいた。

「その事件なら知ってる。ちょうど中学校の同窓会の日だった」というのだ。

「その子は貧しい家の生まれで、だれからも馬鹿にされていた。部落(被差別)っていうのでもないけど、貧しい人ばっかり住む地区に住んでいたはずだ」という。

この記事を書いている現在、すでに70歳の坂に差し掛かっているはずで、どこかの空の下で、津波ですべて流された故郷を思い出すこともなく暮らしているのだろうか。


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