青訓査閲日程(S4.9.1岩手日報)

昭和4年9月1日付『岩手日報』に掲載された「青訓査閲日割」は、青年訓練所における盛岡工兵連隊の査閲日程を伝えるものである。担当官として第三区が日置中佐、第四六が瀬能大佐と記されており、それぞれ上閉伊郡・気仙郡、胆沢郡・西磐井郡・東磐井郡の青年訓練所を巡る予定が示されている。

青年訓練所(青訓)は、戦前の青年男子(おおむね満18歳から25歳)を対象に、簡易な軍事訓練・精神鍛錬・労作指導などを行う機関で、法律上は学校ではなく独立した制度であった。設置場所は各町村によって異なり、専用の「訓練所舎(くんれんしょしゃ)」を建てる場合もあれば、実際には小学校の校庭や講堂、村役場の一角などを間借りする形で運営されていた例も多い。新聞記事では「○○小学校集合」といった表記がなされているが、それは訓練所がそこに併設されていたか、あるいは査閲に適した場所として指定されていたことを意味する。

このように、青年訓練所は法制度上は小学校や中学校とは別の存在でありながら、実際の運用においては地域の既存施設に依存していた。したがって、青年訓練=学校教育と即断することはできないものの、地域社会においては地続きの存在として捉えられていた面もある。昭和初期の村落社会において、青年団活動・勤労奉仕・軍事訓練は密接に結びついており、その象徴がこの査閲日程表でもある。

 


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