日中国交正常化による中国からの帰還女性(S48.11.15)

昭和48年11月15日、陸前高田市出身の伊藤イクさんは、28年ぶりに故郷の土を踏みました。昭和47年の日中国交正常化を機に動き出したこの里帰りは、国家間の外交が、岩手に生きるひとりの女性の人生として結実した瞬間でした。長年、病床で娘の帰りを待ちわびていた母親との再会は、戦後という長い年月がようやくひとつの区切りを迎えた、あまりに重い出来事でした。

この時期、岩手県内ではイクさんのような帰還者が相次いでいました。盛岡市下閉伊郡紫波郡など、それぞれの故郷で20数年ぶりの再会が果たされ、墓参りの夢が叶ったという喜びの声が各地で上がっていました。後年に本格化する「残留孤児」の帰国事業に先駆け、まずは戦時中に大人として中国へ渡り、敗戦の混乱の中で現地に残らざるを得なかった「残留婦人」や残留日本人の帰郷が始まったのです。

しかし、再会の喜びの背後には、帰還者たちが直面したもう一つの戦いがありました。長く中国の社会主義社会で生きてきた人々にとって、経済成長を遂げた日本の資本主義社会は、あまりにも勝手の違う世界でした。物心両面での激しいギャップに戸惑い、経済的な基盤もないまま自立の道を模索しなければならない過酷な現実がそこにはありました。生活保護に頼らざるを得ない現状や、政府による救済措置の遅れといった事実は、感動の再会の裏側にあった切実な困窮を浮き彫りにしています。

当時、大きな話題となっていた横井庄一さんや小野田寛郎さんの存在があります。ジャングルから生還し英雄視された彼らだけが戦争犠牲者なのではありません。イクさんのように異郷で動乱の時代を生き抜いてきた女性たちもまた、等しく国家の犠牲者であり、その苦労は決して軽いものではありませんでした。世間の耳目を集める派手なニュースの影で、誰にも知られず生活の再建に苦しむ帰還者たちに対し、もっと真剣で温かい眼差しを向けるべきではないかという問いかけは、当時から非常に重い意味を持っていました。

昭和48年11月15日という日付は、ある家族にとっては再会の記念日となりましたが、同時に、社会が戦後という課題にいかに向き合うかを突きつけられた日でもありました。国家の決断によって人生を翻弄された人々の歩みは、50年以上が経過した今もなお、決して他人事ではありません。


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