帝銀事件で平沢貞通が自供(S23.9.28岩手新報)
1948年9月28日
2026年3月24日
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【昭和史の断片】昭和23年9月28日「岩手新報」が伝えた帝銀事件の“解決”
昭和最大のミステリーの一つ、「帝銀事件」。戦後の混乱期に起きたこの毒殺事件は、当時の日本中を震撼させました。

今回ご紹介するのは、事件発生から約8ヶ月後、昭和23年(1948年)9月28日付の『岩手新報』の紙面です。そこには、捜査が大きな局面を迎えた瞬間の生々しい記録が刻まれていました。
■ 躍る見出し「帝銀事件 遂に解決へ」
紙面中央に大きく掲げられた見出しは、当時の県民にとっても衝撃的なニュースであったことを物語っています。
- 「帝銀事件 遂に解決へ」
- 「平沢犯行 一切を自供」
- 「捜査本部 さらに眞偽検討」
掲載されている写真には、ハンチング帽を被り眼鏡をかけた平沢貞通氏の姿があり、「犯人の服装をした平沢」という説明書きが添えられています。警察側が犯行時のスタイルを再現させ、立件への自信を深めていた様子が伺えます。
記事の内容を読み解く
記事によれば、平沢氏は9月23日から本格的な追及を受け、連日の取り調べの末に「自分が犯人である」と自白を始めたと報じられています。当局側が「具体的な事実を供述している」とする一方で、慎重にその真偽を検討している段階であったことがわかります。
※後に平沢氏は自白を翻し、一貫して無実を訴え続けることになりますが、この時点では「解決」という言葉がメディアを席巻していました。
■ 当時の世相:みそ・しょうゆの「倍以上」値上げ
興味深いのは、事件報道のすぐ隣に掲載されている生活ニュースです。
「みそ・しょうゆ 倍以上に値上」
東京物価局の発表として、味噌や醤油の公定価格が大幅に引き上げられることが報じられています。凶悪事件の影で、人々が戦後の激しいインフレと食糧難に直面していた、当時の切実な空気感が伝わってきます。
