盛岡の本宮中・太田中が合併促進運動(S33.10.11岩手日報)
1958年10月11日
2026年3月24日
Contents
【昭和の教育秘話】反対ではなく「促進」?盛岡で起きた中学校統合の熱気

通常、学校の統廃合といえば「母校がなくなる」「通学距離が伸びる」といった理由から反対運動が起きるのが世の常。しかし、当時の盛岡市太田・本宮地区では、その真逆――住民による「合併促進運動」が猛烈に行われていました。
1. 「おらだて盛岡市民なんだ」という切実な願い
当時の新聞紙面には、地域住民の生々しくも前向きな叫びが記録されています。
「ちっぽけな学校より大きな設備した学校で子供の教育をやってもらいたい」
「おらだて(俺たちだって)盛岡市民なんだ」
当時の両校は小規模ゆえに、理科室の備品や音楽の楽器、体育設備などが、市中心部のマンモス校に比べて十分ではありませんでした。「同じ盛岡市民として、わが子にも等しく充実した教育環境を与えたい」……。そんな親たちの純粋な願いが、地域一丸となって市を動かすエネルギーとなったのです。
2. 地区の枠を越えた「一丸」の団結力
注目すべきは、太田・本宮の両地区が「本宮・太田中学校統合期成同盟会」を結成し、足並みを揃えていたことです。地区ごとのしがらみを捨て、「一丸となって統合運動」「盛上がる」と紙面で表現されるほどの盛り上がりを見せました。
市が主導するのを待つのではなく、住民側が「早く統合してくれ」とリードする展開は、全国的にも珍しい熱気あふれるものでした。
3. 昭和41年、希望の象徴「大宮中学校」の誕生
この住民たちの粘り強い運動が実を結び、記事から8年後の昭和41年(1966年)、ついに統合校が産声をあげます。
それが現在の盛岡市立大宮中学校です。
【校名の由来について】
「大宮」という名は、単なる合併地名ではありません。建設地である「盛岡市本宮字大宮」という地名、そして古くから地域を見守る「大宮神社」の近くに位置することから命名されました。
地域に根ざした誇り高き神社の名を冠した新校舎は、まさに先人たちが手を取り合って勝ち取った、次世代への贈り物だったと言えるでしょう。
