備考※1 1 10月 1983 【参考】秋の交通安全運動(S58.10.1中日ニュース) この時期は毎年秋の交通安全運動。 岩手のニュースではないが。 https://youtu.be/FPhpdyjujeU?si=CppQJxgSPRwVmETg … 続きを読む
l全県 31 12月 1973 県内の交通事故死者数が過去最悪に(S48.12.31) 昭和48年、県内の交通事故による死者数が219人と過去最悪を記録し、10年前の倍以上に達した。全国では事故件数や死者数が減少傾向にある中、県内では増加が続き、全国でも4番目の増加幅となった。この状況を受け、県警は「100日作戦」や「交通死亡事故半減非常体制」を展開し、交通規制の強化や安全啓発運動を推… 続きを読む
b二戸・二戸郡 16 12月 1967 二戸郡福岡町で交通安全カレンダーを町内に配り続けた人(S42.12.16デーリー東北) 二戸郡福岡町で交通安全カレンダーを6年間に渡り配り続けた人が話題に。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 11月 1967 一関・キューピー移動交通公園の開設から早1年(昭和42年11月6日) 昭和42年11月6日の岩手報知より。 一関の交通移動教室「キューピー公園」を昭和41年11月23日に誕生して、早1年を迎えることになったと言う。 この1年間で開催した日数は90日、利用した人数は60,000人を数えると言う。 キューピー公園は、自動信号機はもとより、横断歩道、見通しの悪い場所、鉄道踏… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 11月 1967 一関・キューピー移動交通公園に新たな施設完備(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手報知より。 11月1日から3日にかけて、交通安全展示会が行われたが、この開催期間中の同乗見学や交通教室利用者は約30,000人であったと言う。 ここで使われた見通しの悪い道路、鉄道踏切用の機関車模型や軌道は今をキューピー移動交通公園に加えられ、学校、幼稚園、遊園地などを巡回… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 4月 1966 道の真ん中を歩く危ない小学生(昭和41年4月7日) 昭和41年4月8日の岩手東海新聞より。 この時期,釜石警察署では、道の真ん中を歩く小学生たちに頭を痛めていた。 朝は、上級生や親たちのリードがあって学童歩道を歩くのだが、下校時になると上級生もリードしてくれないし、授業が終わった開放感で家に広がって歩くようであった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10 9月 1963 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 山田町の宮古警察署山田派出所には、新しい交通標識の見本用教材が届いた。 これで、町民に交通標識を知ってもらおうと言うものである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 3月 1963 渋滞が激しくなったので盛岡市内に「交通信号機」を設置します! 昭和38年3月29日の岩手日報より。 盛岡市内はとみに交通渋滞が激しくなってきた。 1日に開運橋付近では12,000台、中の橋付近では11,000台と、昭和33年の約2倍という状況であった。 盛岡警察署管内の自動車登録台数は約20,000台で昭和30年の5.3倍。 交通事故は592件と昭和30年の4… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1961 学力テスト拒否で岩手県教組九戸支部の役員数名が逮捕され抗議集会(昭和36年12月6日) 昭和36年12月7日のデーリー東北より。 この時期、岩手県教員組合(岩教組)では学力テストを拒否闘争、いわゆる「学テ闘争」を展開していた。 これを、地方公務員法違反として捜査していた岩手県警本部は、12月6日の午前7時に、宮古警察署などを動員して、学テを拒否した宮古支部長や九戸支部長など12名を逮捕… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1961 釜石のタクシーの不審な女客(昭和36年3月1日) 昭和36年3月2日の岩手東海新聞より。 3月1日の夜、釜石市大町のバー「白樺」から女給を乗せた西円タクシーは、指示されるままに大平の出光興産油送桟橋のところまで車を走らせた。 天神町に住んでいる24歳のその女給は降りる際、「さようなら」「同僚に私の写真を実家に送ってくれるように頼んでください」などと… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1960 釜石でラジオやパトカーで愛の献血リレー(S35.3.2岩手東海新聞) 釜石で急遽輸血が必要になった人に、NHKのラジオ放送とパトカーでO型の血液を輸血したという話。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1960 岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日) 昭和35年1月13日の岩手日報より。 この時期、バイクの「カミナリ族」による事故が社会問題になっていた。 それまでもスピード違反の取り締まりはやっていたのだが、やり方としては、2点間に警察官が立ち、ストップウォッチで計測して有線電話で連絡を取り合うというものだった。 そこで、県警本部は自記式速度計を… 続きを読む
l全県 4 3月 1959 警察が自らグロ書籍!?『岩手の重要犯罪』に批判(昭和34年3月4日) 昭和34年2月25日、岩手県警察本部から『岩手の重要犯罪』という書籍が出版された。 https://twitter.com/bunko_kai/status/1296353280625217543 見ての通りの本である。 表紙を開いて早々、目に入るのはこの写真。 当然のように批判が集まることになった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1958 第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝 昭和33年5月18日の岩手日報より。 22日に投票日を控え、県選挙管理委員会では公明選挙を訴え、県公会堂の前でアドバルーンを上げることに。 また、記事では棄権を無くすように訴えている。 この頃から「選挙で何も変わりはしない」と斜に構えたニヒリストはいたようである。 また、「20」を「廿」で表記するの… 続きを読む
b二戸・二戸郡 20 4月 1958 福岡町上斗米に警察署長も注目の防犯組織 昭和33年4月20日の読売新聞岩手版では、二戸郡福岡町上斗米に伝わる防犯組織について紹介している。 それは「上斗米青年淬砺会」というのだそうで、なんと藩政時代から伝わるのだという。 男子は中学卒業とともに入会 40歳で定年 その定年前でも、戸主となれば上部組織の「報徳会」入りし、「捕縄」を持つことが… 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 10月 1957 八戸の漁船3隻が岩手県警の警備船に捕まる(昭和32年10月17日) 昭和32年10月18日のデーリー東北より。 海上パトロールしていた岩手県警の警備船「さんりく」は、九戸海域に出没していた密漁船を逮捕して、久慈の玉の脇港に引き上げた。 これらの密漁船は、久慈市宇部町三崎トドが岩 3マイル海上の野田湾海域で、禁止漁業の底引き網を使用して、ナメタガレイなどを密漁していた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 4月 1957 遠野署が釜石線の列車でヤミ米46俵押収(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 遠野警察署は3年ぶりに釜石線でのヤミ米の取り締まりに乗り出したという。 遠野駅を14:08に発車する釜石行きの415列車を急襲、釜石へ運ぼうとしていたヤミ米134包、2760kgを押収し、釜石市内の男1名、女4名を食糧管理法違反で逮捕した。 列車の網棚や椅子の下… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1956 釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) 釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 1月 1956 「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1956 カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 この頃、オートバイにカップルで乗って、女性の方は横乗りで事故を起こすことが多かったようである。 そこで警察は取り締まりに乗り出すことにした。 警察は「捕まりたくなかったら女性もズボンをお召しになってまたがって乗ってください!」と。 ちなみに、どちらも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1956 盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡警察署では、風俗営業法によるキャバレーの飲食時間を内偵していた。 風俗営業法では、キャバレーは11時が営業時間になっていたのである。 そして、1月6日23:30を期して、3班に分かれて盛岡市内の「ハレム」「フロリダ」「レンボー」を急襲して、証拠写真の撮影などを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 8月 1955 盛岡に痴漢出没(昭和30年8月18日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 8月16日には盛岡で舟っこ流しが行われ、痴漢が現れたのだという。 それで捜査を行っていた矢先の8月18日、今度は新庄田中(現:若園町)で5歳の幼女が友達と遊んでいると、自転車できた男にいたずらされたのだという。 それで警察は厳重に捜査を進めていた。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1954 岩手県警察本部が発足(昭和29年7月1日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 戦後、アメリカに占領されてからというもの、警察制度は内務省警保局の下の各都道府県警察部が解体され、アメリカばりに「自治体警察」「国家地方警察」に分かれることになった。 例えば盛岡でいえば、盛岡市は「盛岡市警察署」、その周辺の滝沢村や見前村や乙部村や大田村などは「国… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 4月 1954 盛岡駅前に新交番 昭和29年4月17日の読売新聞岩手版より。 盛岡市の都市計画の一つとして、盛岡駅前の広場が拡張し、盛岡駅前に新交番が完成したとのこと。 総工費は49万5千円。 建坪8.16坪で木造2階建て。 防火モルタル張りでクリーム色のモダンな建物。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 3月 1954 盛鉄公安室ではかつぎ屋を560件検挙 昭和29年3月14日の岩手日報より。 昭和28年は凶作の年であり、米どころの胆沢郡でも代用食という状況であった。 それで全国的にもコメ不足となり、担ぎ屋が至る所に横行した。 1月以降、国警県本部や盛鉄公安室ではその取り締まりを強化することとした。 盛鉄局管内では244件、2月は216件の検挙となり、… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 8月 1953 癩病患者が東北新生園を脱走して一関の夏祭り見物(昭和28年8月15日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 8月15日の朝4時頃、一ノ関駅前をうろついていた挙動不審の男がいた。 警察官が職務質問したら、宮城県瀬峰の癩療養所「東北新生園」から脱走してきた50歳の男であるという。 脱走して東磐井郡大原町の子供に会いに行く途中であったという。 この男を一応保護して保健所を通… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1952 盛岡市警察署員が岩手公園で訓練 昭和27年9月4日の岩手日報より。 秋晴れの空の下、岩手公園で盛岡市警察署員が点呼を行う。 記事には「十三万市民をまもる・・・」と書いている。 当時、盛岡の人口は13万人であったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 5月 1951 開運橋のたもとで精神異常者が北上川に飛び込み大乱闘で救助(昭和26年5月21日) 昭和26年5月21日の「夕刊いわて」より。 この日の午前11時ごろ、開運橋の下流100メートルほどの盛岡駅側の岸から北上川に飛び込んだ男がいた。 それに続いてもう1人の男がこれを追って飛び込み、大騒ぎとなり、時折しも列車の到着時刻でもあったので、開運橋は人だかりができることになった。 結局、追われて… 続きを読む