d宮古・下閉伊郡 12月 25日 1967 田老鉱山にも公害問題でダム建造計画(昭和42年12月25日) 昭和42年12月25日の岩手日報より。 ラサ工業田老鉱山では銅鉱、マンガン、亜鉛などを算出していた。 ところが、選鉱した残りの黒い鉱滓が長内川の下流に流れ、農作物やアワビなどに被害を与え、年間300万円の補償が必要であったという。 そこで、鉱山から4km下流の乙部地区に、ロックヒルダムを建造すること… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 16日 1965 釜石鉱山~釜石製鉄所の鉱石輸送は昭和40年3月に社線から国鉄に切り替え予定(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 これまで、釜石鉱山から釜石製鉄所に運ぶ鉄鉱石は、国鉄の陸中大橋駅付近から釜石駅前の製鉄所まで、国鉄と並行して「社線」という専用線で輸送していた。 この「社線」、釜石市内の小佐野や甲子といった市街地の道路の真ん中を走っていたので、自動車が増えるにつれ邪魔でしょうが… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 20日 1964 松尾鉱山の新しい住居表示(昭和39年3月20日) 岩手郡松尾村でも昭和39年4月1日から「住居表示に関する法律」(昭和37年5月10日法律第119号)に基づいた住居表示を行うようになるということで、村の広報まつお昭和39年3月20日号で広く周知することに。 この広報自体は「松尾鉱山資料館」で売っていたような気がする。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 28日 1963 釜石の大橋鉱山で不老長寿の秘法「ヨガ」講習会(昭和38年10月29日) 昭和38年11月1日の岩手東海新聞より。 この時期「不老長寿、健康の秘法」としてヨガがブームになっていたようである。 それで、10月29日から三日間、日鉄の大橋鉱業所で講習会が開かれた。 鉱山労働者には、肩こりなどの労働障害が多く、ヨガでどうにかならないかと言うことを鉱山の小学校の先生が相談したよう… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 6日 1962 再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日) 昭和37年11月6日の河北新報岩手版より。 「東洋一の硫黄鉱山」と言われていた松尾鉱山は、この時代になると、石油精製時の回収硫黄によって、わざわざ鉱山で掘る必要がない状態となっていた。 それで、10月中旬には希望退職を募り、従業員3500人の中1075人が退職を申し出たと言う。それで生産量も下降し、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 5日 1962 3年間死亡事故皆無のモデル鉱山・釜石鉱山(昭和37年7月5日) 昭和37年7月5日の岩手東海新聞より。 釜石鉱山では、3年間死亡事故がなく、モデル鉱山としての誉れを恣にしていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 4日 1962 盛鉄局管内の貨物扱い1位は釜石駅(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、管内の旅客と貨物の扱い量の番付を発表した。 旅客では、東北本線と奥羽本線と青函連絡船の交わる青森駅がトップで、その次が盛岡駅。 貨物では、釜石製鉄所と魚市場のある釜石駅がトップとなっていた。 2位が青森駅であり、3位がセメント工場のある陸中松… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 27日 1961 江刺・赤金鉱山の住民「小学校の学区をバスの本数の多い方にして欲しい」(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 江刺市伊手の奥には同和鉱業赤金鉱山があった。 この赤金地区の児童90人は、4km離れた上伊手小学校に通っていたのだが、その上伊手に行くバスは1日6回しかないのだという。 しかし、5km離れた伊手小学校であればバスの便は33本あるので、こちらの方が通いやすい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1961 松尾鉱山小学校将棋倒し事故(昭和36年1月1日) 昭和36年の元旦、「東洋最大の硫黄鉱山」岩手郡松尾村にある松尾鉱山の松尾鉱山小学校で、新年会に集まった児童が将棋倒しになって10名が死亡するという大惨事が発生した。 https://www.youtube.com/watch?v=sQ8gOvou4uw それは元旦の朝9時45分頃のこと。 当時、松尾… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 14日 1960 盛岡で雪の中を安保反対のデモ行進(昭和35年1月14日) 昭和35年1月15日の岩手日報より。 日米安保条約改定阻止運動の岸首相渡米・調印反対の全国統一行動の1月14日午後6時から盛岡市内丸の県公会堂で行われた。 大会には、盛岡市内からだけではなく、松尾鉱山からもトラックに分乗して労働組合員150名が盛岡までやってきた。 大会は20分で終了し、公会堂から盛… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 8日 1960 松尾鉱山にデラックス・バス(昭和35年1月8日) 昭和35年1月8日の岩手日報より。 松尾鉱業所には前年末に2台のデラックス・バスが到着したのだという。 それは1960年型の定員65人乗りで、130馬力のトヨタ車であるという。 車体は「明るいグレーに青色の帯を巻い」ているという。 この時点では、元山~屋敷台(松尾鉱山鉄道の駅)を往復しているだけであ… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 12月 17日 1959 岩手開発鉄道に新しい機関車(昭和34年12月17日) 昭和34年12月19日の岩手日報より。 岩手開発鉄道では、牽引力不足による滞貨で悩んでいたところ、新しいディーゼル機関車が盛駅に到着し、いよいよ輸送力の増強が期待できる状態になったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 17日 1959 釜石港に石炭輸送のリベリア船が入港(昭和34年5月17日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 製鉄所の高炉が盛んだった釜石港では外国船の出入りも盛んだったようで、リベリア船のアインド・スキイパー号がひときわ目立っていたという。 この船はアメリカ産の石炭を13,500トン積んでノーフォーク港から来たのだという。 5月17日に入港し、22日に出港とのこと… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 7日 1957 久慈湾で粘土輸送の機帆船がしけで真っ二つ(昭和32年10月7日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 10月7日の明け方3時頃、久慈湾で粘土輸送の機帆船・一洋丸が(99トン)しけにたたき付けられ真っ二つになってしまったという。 この時、波高は4メートルにもなっていたという。 損害は1千万円とも推定された。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 26日 1957 釜石で高品位ウラン鉱?(昭和32年5月26日) 昭和32年5月26日の岩手日報より。 釜石に、高品位なウラン鉱脈があるのではないかと言う専門家の見立て。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 30日 1957 釜石鉱山の不穏な新聞広告 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版では何やら不穏な広告が掲載されている。 釜石鉱業所の社員や関係者を自称して、鉱山の買収やら探鉱調査やらの話をしていた男がいたらしい。 それで、その実名を挙げて「ご注意ください」と広告を打っている。 … 続きを読む
l全県 1月 4日 1957 県内の鉱山業各社から新年のご挨拶(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報岩手版より。 県内の鉱山業各社がまとめて新年のご挨拶。 令和4年現在現存するのは… 一応松尾鉱山以外は全部あるのか? … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1955 三陸縦貫鉄道と北上山系横断鉄道に国鉄の調査隊 「日本のチベット」と呼ばれていた岩手県の内陸北部に鉄道を通そうという計画は、実にこの頃からあった。 昭和30年1月10日読売新聞より そこで、国鉄は調査隊を派遣して基礎調査を行うことになった。 区間は宮古〜小本〜久慈の「三陸縦貫鉄道」と、沼宮内〜岩泉〜小本の「北上山系横断鉄道」。 この時点では、いず… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 17日 1954 三笠宮殿下が松尾鉱山をご見学(昭和29年9月17日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 青森など各地を回っていた三笠宮殿下は、9月17日にまた岩手にご来県し、松尾鉱山などを見学された。 そればかりではなく「岩手の学校では、他の県と違って気をつけとか敬礼の号令が非常に多く堅苦しく感じた」と苦言をていされたのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 12日 1954 松尾鉱山の硫黄を小口で販売します 昭和29年3月12日の岩手日報の広告欄より。 松尾鉱山の硫黄を小口で販売するという。 硫黄というのは、小口で一体全体どのような目的に使うのかちょっと現代の感覚では想像しかねるが、なにがしか需要があったのだろう。 松尾鉱山は、盛岡や八戸や仙台に事務所があったようである。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 7日 1952 全国的に珍しい田老町の防波堤(S27.9.7岩手日報) 囲み記事で、田老町についての紹介がなされている。 この当時はまだ田老町は田老鉱山が操業していた鉱山町であり、また津波避けの防波堤は全国的に珍しかった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 14日 1948 赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日) 昭和23年7月14日の岩手新報の広告欄より。 赤川用水路の通水式が行われ、関係各村からもお祝い広告が出されている。 村役場が直接出してるだけでも岩手郡巻堀村、渋民村、大更村と、松尾鉱山のふもとの赤川を農業用水に使っている各村から出されていた。 ただし、この赤川用水路は松尾鉱山の垂れ流す酸性水で何年も… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1948 松尾鉱山で従業員募集。月収は1,600~6,000円(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手県と松尾鉱山では松尾鉱山の従業員を募集している。 月収は1,600円~6,000円。 どんな職種なら1,600円で、どんな職種なら6,000円だったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1945 釜石鉱山では鶴嘴片手に無休の正月 〽️海の男の艦隊勤務 月月火水木金金 休みなく働くことを称揚した軍歌「月月火水木金金」は、本来は戦争の激化により休みがなくなっていく海軍の状況を自嘲的に「これじゃ月月火水木金金だよ」と誰かがこぼしたのを真に受けて作詞されたものであると言われている。 昭和20年の釜石鉱山の正月は、その「月月火水木金金… 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 12月15日以降白金を所有している人は罰金か懲役ですよ!供出しましょう!(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 戦局は逼迫しており、白金の供出に迫られていた。 それで、「12月15日以降の白金の所有者は懲役10年以下か罰金500円以下」になるというのである。… 続きを読む
l全県 8月 1日 1944 岩手県協和会が朝鮮半島出身労働者を表彰(S19.8.1新岩手日報) 岩手県協和会は、半島出身労働者を表彰した。 このことからも、朝鮮人がどこで多く働いていたかが分かろうというもの。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 27日 1937 松尾鉱山の文盲鉱夫と盛岡の悪い女 盛岡区裁判所で行われた裁判より。 山形県の山中で生まれ、あまりに僻地であることから3か月しか学校へ行かずに字が読めず、九州の炭鉱などで鉱夫として働いていた。 生母と生き別れになっていたが、その生母が盛岡にいることが分かり盛岡へ行き、松尾鉱山で働くようになった。 ところが鉱夫仲間の時計を盗んで盛岡市内… 続きを読む