a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1960 岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日) 昭和35年1月13日の岩手日報より。 この時期、バイクの「カミナリ族」による事故が社会問題になっていた。 それまでもスピード違反の取り締まりはやっていたのだが、やり方としては、2点間に警察官が立ち、ストップウォッチで計測して有線電話で連絡を取り合うというものだった。 そこで、県警本部は自記式速度計を… 続きを読む
l全県 1月 11日 1960 日本海に低気圧が発生し県内で大雪(昭和35年1月11日) 昭和35年1月11日の岩手日報より。 日本海に低気圧が発生し、東北地方に前線が横切り、その前線の北側では雪、南側では雨となった。 盛鉄局施設部保線課によれば、各駅の降雪量は以下の通り。(カッコ内は積雪量) 東北本線 一戸 10(10) 奥中山 10(55) 盛岡 15(20) 北上 5(5) 水沢 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 8日 1960 松尾鉱山にデラックス・バス(昭和35年1月8日) 昭和35年1月8日の岩手日報より。 松尾鉱業所には前年末に2台のデラックス・バスが到着したのだという。 それは1960年型の定員65人乗りで、130馬力のトヨタ車であるという。 車体は「明るいグレーに青色の帯を巻い」ているという。 この時点では、元山~屋敷台(松尾鉱山鉄道の駅)を往復しているだけであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1960 元旦の釜石発盛岡行きの始発バス(昭和35年1月1日) 昭和35年1月4日の岩手東海新聞より。 仙人トンネルが開通して初めての正月、岩手東部バスの釜石発盛岡行きの急行バスの乗車記。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1960 盛岡バスセンターの向かいに昭和石油ガソリンスタンド完成(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 盛岡バスセンターの前に昭和石油盛岡モデルステーションが完成するという。 ・・・というか、この時点では盛岡バスセンターの開業はこの年の4月20日であり、まだバスセンターとしてはオープンしていなかったはず。 それでもバスセンターに対する期待は大きかったのだろうか。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1959 盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 盛岡と秋田を最短で結ぶ二級国道は、まだ全通していない状態であった。 雫石町の葛根田川にかかる葛根田橋の起工式が阿部知事、雫石町長、建設省盛岡建設事務所長などの列席のもとに行われた。 昭和36年に竣工の予定で、表日本と裏日本をつなぐ「陸の運河」としての機能が期待さ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 29日 1959 日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日) 昭和34年9月29日岩手日報より。 朝6:50頃、紫波町日詰の路上を回送中の花巻バスが、前方から来た人をよけようとして左手前方の製材所に突っ込むという事故が発生。 運転手が両ヒザに10日間程度のケガ、バスは15,000円、製材所は50万円程度の損害であったという。 昭和30年の北上・飯豊橋のバス事故… 続きを読む
l全県 9月 29日 1959 カミナリ親父とカミナリ族 昭和34年9月29日の岩手日報に掲載された漫画より。 カミナリ親父も寄る年波で引退だという。 しかし今度は息子の方がカミナリ族になっているというオチ。 当時、オートバイでスピードを出しまくる「カミナリ族」が各地で問題になっていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 28日 1959 日産ディーゼルトラック・民生ディーゼルトラックは岩手日産自動車で! 昭和34年9月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車が日産ディーゼルトラックと民生ディーゼルトラックの広告を打っている。 この時期、トヨタにしろいすゞにしろくろがねにしろ、菜園とか大沢川原といった、下ノ橋の北側の中津川沿いに自動車販売会社が集中していたようである。 … 続きを読む
l全県 9月 21日 1959 岩手日産「車は生きている・・・」 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 日産自動車の販売の広告ではなく、県内各整備工場の広告。 「あなたが選ぶ車のお医者様岩手日産は、すぐれた技術と純正部品であらゆる車の故障をケロリと直します」 というキャッチコピーも千両である。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 9月 17日 1959 統計図表コンクールの知事賞は気仙小学校の「姉歯橋の交通調査」 昭和34年9月17日岩手日報より。 県統計協会により小・中学生の統計図表コンクールが開かれ、応募75点のうち、小学生の部の知事賞は陸前高田・気仙小3年1組の「姉歯橋の交通調査」であったという。 姉歯橋は当時は国道45号線で陸前高田から気仙沼方面に出る時は必ず通る橋であったようである。 自家用車を「ト… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1959 岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日) 昭和34年の9月16日に日が変わった午前1時頃のこと。 大通2丁目にある盛岡タクシーの無線司令室の交信台に、うめき声が入ってくる。 一体なにごと…? 「全車、異常の有無を報告せよ、どうぞ」 「6号車、異常ありません、どうぞ」 「3号車異常なしー、どうぞ」 そうやって返ってきた答えのうち、4号車だけが… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 13日 1959 岩手東部バスが釜石周辺で5路線を運行開始(昭和34年9月13日) 昭和34年9月17日の岩手東海新聞より。 岩手東部バスが、5つの路線を申請していたところ、正式認可となり9月13日から運行開始することとなった。 その5つの路線とは以下の通り。 釜石〜遠野(7往復) 盛岡〜釜石(5往復)岩手中央バスとの共同運行 大槌〜遠野(2往復)笛吹峠経由 釜石〜平田(4往復) … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 12日 1959 仙人トンネル開通(昭和34年9月12日) IBC「いわてアーカイブの旅」より。 昭和34年9月12日、仙人峠にトンネルが開通。 この当時はまだ有料道路であり、なおかつ「国道283号線」ではなく「県道盛岡釜石線」の時代。 バスは県南バスカラーのようであるが「IKB」ではなく「TBK」とある。 岩手東部バスは昭和32年に岩手県南バスの傘下に入っ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 28日 1959 釜石オートセンターではヤマハオートバイが125,000円!(昭和34年8月28日) 昭和34年8月28日の岩手東海新聞より。 広告欄では釜石オートセンターが広告を出しており、ヤマハオートバイが現金で125,000円、月賦では135,000円からであることが報告されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 22日 1959 仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) 昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1959 釜石・小川温泉に旅館が開業!バスも4本あります!(昭和34年7月4日) 昭和34年7月4日の岩手東海新聞より。 釜石で唯一の温泉である小川温泉に旅館が開業。 バスも東前(当時の岩手東部バス釜石営業所)から1日4本走っていたようだ。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 1日 1959 「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日) 昭和34年7月1日の岩手民声新聞より。 「チベット」と呼ばれていた上門岡に、県南バスが通ることになった。 これが、岩谷堂〜稲瀬〜上門岡に至る9.2キロの路線。 開通式は、江刺市長、北上市長、県南バス社長、県南バス江刺営業所長長など多数が出席して行われた。 海外にあたっては、上門岡部落の50戸の住民が… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 12日 1959 江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) 昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 5日 1959 釜石市内のオートバイ店「50ccバイク48500円!」(昭和34年6月5日) 昭和34年6月5日の岩手東海新聞より。 釜石市内のモーターサイクル店では50ccバイクが48500円とな。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 26日 1959 釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) 昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。 この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 18日 1959 釜石の五ノ橋で岩手東部バスが危機一髪(昭和34年5月18日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石駅を出て右手の中妻方面に行く際、最初にわたる橋は「五ノ橋」であるが、この五ノ橋でバスが危うく転落しそうになった。 5月18日の昼下がり、東前発小川社宅行きの岩手東部バスは、釜石市の中心部から住宅地の小川に向け、買い物帰りの親子連れ等30名を乗せて走ってい… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 19日 1959 岩手県南バス一関営業所にエアサスペンションの新鋭バス(昭和34年3月19日) 昭和34年3月20日の岩手報知より。 岩手県南バスでは、最新型エアサスペンション(空気ばね)付きの新鋭バス11台を購入し、一関営業所に配車となった。 そして19日12時半から小中学校の児童生徒や観光協会関係者を招いて試乗会を行った。 「動揺が少なく、スピードが出れば出るほど乗り心地が満点であった」と… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 県南バス人事(昭和33年7月1日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 県南バスでは7月1日付で人事異動を行い、一関営業所長は水沢営業所長に、後任は大船渡営業所から来るという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1958 岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) 昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス 昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。 いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 12日 1958 久慈港から玉の脇岸壁に至る諏訪海岸線道路が九分通り舗装(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 久慈建設事務所では久慈港から玉の脇岸壁に至る諏訪海岸線道路の舗装工事が九分通り完了した。 大しけの度に泥んこになる状態がこれで解消するという。 … 続きを読む
m県外・参考 10月 3日 1957 東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 広告欄の一番下には三八五運送の広告。 この時期から既に東京までトラックで運んでいたのだろうか? 国道4号線すら「酷道」と呼ばれ、舗装すらされていなかった時期である。 ちなみに岩手県内で出てくる地名は一ノ関、水沢、盛岡、軽米、大野、久慈、種市。… 続きを読む