f花巻・稗貫郡 1月 29日 1955 花巻電鉄の花巻温泉駅に6尺の雪のコケシ(昭和30年1月29日) 昭和30年1月29日の河北新報岩手版より。 第8回県民スキー大会が花巻温泉郷で開かれていた。 それを歓迎して、花巻電鉄の花巻温泉駅では6尺近い大コケシの雪像を作ったのだという。 それは観客の度肝を抜いたようだ。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1955 三陸縦貫鉄道と北上山系横断鉄道に国鉄の調査隊 「日本のチベット」と呼ばれていた岩手県の内陸北部に鉄道を通そうという計画は、実にこの頃からあった。 昭和30年1月10日読売新聞より そこで、国鉄は調査隊を派遣して基礎調査を行うことになった。 区間は宮古〜小本〜久慈の「三陸縦貫鉄道」と、沼宮内〜岩泉〜小本の「北上山系横断鉄道」。 この時点では、いず… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 21日 1954 山田線が6年ぶりに復旧 昭和23年のアイオン台風で山田線が普通となっていたが、最後まで残っていた腹帯〜平津戸間が、昭和29年11月21日に全線復旧することとなった。 「オイラン列車」の簪も頼もしい。 昭和29年11月11日読売新聞岩手版より そして11月21日の開通式では、宮古駅のすぐ裏にある宮古高校の講堂で国分知事や岡田… 続きを読む
b二戸・二戸郡 8月 1日 1954 北福岡駅〜斗米村〜田子町に国鉄バス開業(S29.8.1岩手日報) 8月1日から、国鉄バスの北福岡駅から斗米村と青森県境を越えて田子まで国鉄バスが開業したようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1954 盛鉄局では黒沢尻~盛岡にお花見列車を運行します 盛鉄局では、お花見シーズンに以下のダイヤで臨時列車を走らせる予定とのこと。 4月29日~5月3日 (下り)黒沢尻7:22 → 花巻7:42 → 盛岡8:48 (上り)盛岡16:55 → 花巻18:02 → 黒沢尻18:21 どうも北上の展勝地を志向したダイヤではなく、盛岡の岩手公園や石… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 24日 1954 一ノ関駅の公衆便所に赤ちゃんの死体が投げ入れられる(昭和29年3月24日) 昭和29年3月25日の岩手日日より。 3月24日の朝6時20分ごろ、一関駅構内の公衆便所の汲み取り作業していると、西側4つ目の便壺に、生後間もない男児の死体が手ぬぐいに包まれて投げ捨てられてあるのを発見し、一関市警察署に届け出たものである。 検死の結果、死後2日から3日経過しており、窒息死したものと… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 18日 1954 ビキニの「原子マグロ」を積んだ貨車が一ノ関駅で発見(昭和29年3月18日) 昭和29年3月19日の岩手日日より。 この年の3月1日、ビキニ鑑賞で水爆実験が行われ、第5福竜丸が被爆した。 その際の放射能の被害を浴びたマグロは、すでに全国で貨車で積み出されいたのである。 3月14日に水揚げされたマグロを、焼津から東京に運んだ貨車(レテ10029)が一体どこへ行ったのか国鉄が総力… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1954 盛鉄公安室ではかつぎ屋を560件検挙 昭和29年3月14日の岩手日報より。 昭和28年は凶作の年であり、米どころの胆沢郡でも代用食という状況であった。 それで全国的にもコメ不足となり、担ぎ屋が至る所に横行した。 1月以降、国警県本部や盛鉄公安室ではその取り締まりを強化することとした。 盛鉄局管内では244件、2月は216件の検挙となり、… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 11日 1954 清水原信号場を駅に昇格してほしい 昭和29年3月11日の岩手日報より。 この頃、東北本線は電化しておらず、単線区間もかなりあった。 そうしたところ、一関以南が複線化することになり、西磐井郡花泉村にある清水原信号場も不要になるということで、廃止の話が持ち上がった。 隣接する金沢村は「現在の信号場の300m南にある踏切付近に移転するので… 続きを読む
l全県 3月 4日 1954 時ならぬ大雪でダイヤ混乱(昭和29年3月4日) 昭和29年3月6日の岩手日報より。 東シナ海で発達して北上した低気圧の影響で4日以降の大雪で県内の鉄道はダイヤが混乱した。 宮古では20センチ、釜石では15センチ、一ノ関では10センチと沿岸~県南にかけてが多かった。 この影響で、下りの5:05到着の急行205列車、5:45到着の急行1201列車、1… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 8日 1954 大船渡線の客車が木造から鋼製に(昭和29年1月10日) 昭和29年1月10日の岩手日日より。 それまでの大船渡線の列車は「カラス列車」「山汽車」などと呼ばれていたのだと言う。 それを、本線並みに鋼製客車にするようになったのだと言う。 洗面所や暖房も新しくなり、好評であると言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 1日 1953 一ノ関機関区の機関庫が解体(昭和28年11月1日) 昭和28年11月1日の岩手日日より。 一ノ関機関区の機関庫の解体は始まったのだが、この11月中に終えようと急ピッチで工事が進められていた。 明治44年に建てられたばかりの頃は、東北一の機関区であったと言うが、時代の変遷とともに解体の運命となり、40年余りのお役目が終わりを告げるのであった。 &nbs… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1953 盛鉄局貨車入換競技会で一ノ関駅代表が上位入賞(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 盛鉄局の貨車入換競技会は、8月上旬に八戸駅構内で開催されたという。 一ノ関駅からは9名が参加したが、1位3名、2位5名、3位1名と好成績を挙げたという。 具体的にどのような種目であったかはこの記事からは読み取れない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1953 油島信号場を駅に昇格してほしいと陳情運動(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 東北本線の油島信号場は、周辺町村により駅昇格運動が展開されており、地元負担額についても調整が付くことになった。 地元の油島村と、隣村の永井村・涌津村の各村長が9月7日に盛鉄局を訪れ陳情するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1953 一ノ関駅の夏の営業成績は旅客が低調、貨物が好調(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 一ノ関駅の7~8月の乗降客は以下の通り。 7月 乗車:123,550名(前年115,127名) 降車:120,503名(前年111,763名) 収入:577,739円 8月 乗車:157,316名(前年148,000名) 降車:147,009名(前年137,006… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1952 盛岡駅構内で「動く鉄道博物館」 昭和27年10月8日の岩手日報より。 国鉄開業80周年を記念して、盛鉄局が主催して盛岡駅構内の「片倉線」で7日から「動く鉄道博物館」が開催されているという。 「片倉線」というのは片倉製糸の引き込み線、ということだろうか。 確かに盛岡市内には片倉製糸の工場があったようである。 ただしネット上だけではそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 23日 1952 秋分の日は列車に乗ってキノコ狩りや栗拾いへ(昭和27年9月23日) 昭和27年9月24日の岩手日報より。 9月23日は秋分の日で祝日であり、盛岡駅はキノコ狩りや栗拾いに行く行楽客でにぎわった。 特に5:55発の東北本瀬下り(北福岡・八戸方面)、6:11発の山田線、6:12発の橋場線は行楽列車の様相を呈していたという。 奥中山(一戸町)のキノコは最盛期、山田線の大志田… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 19日 1952 花巻駅のラッシュアワー 昭和27年9月19日の岩手日報より。 花巻駅のラッシュアワーは、上り(盛岡方面)が6:04、下り(一ノ関方面)が6:44到着で、通勤・通学者は上りが450名、下りが1640名であるという。 そのすべてが花巻駅で乗るわけではなく、釜石線から640名、温泉電車から810名が乗り換えるという。 花巻始発で… 続きを読む
l全県 9月 16日 1952 キャベツ・さんまの輸送シーズンに貨物列車増発(昭和27年9月16日) キャベツなどの秋野菜、サンマなどの秋魚、そして冬に向かって木炭などの輸送の為に、盛鉄局では昭和27年10月1日~12月末の間に、貨物列車を増発することを9月16日に決定した。 内訳は以下の通り。 東北本線 3往復 八戸線 1往復 大船渡線 1往復 10月~12月までの間、現在の出荷量より以下の増加が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 25日 1952 貨物列車が盛岡駅に到着したら後ろ12両貨車が無い!? 昭和27年2月25日の18時45分、青森発大宮行きの貨物列車が14分遅れで盛岡駅に到着した。 そうしたところ、連結されているはずの貨車の後ろ12両が無くなっているではないか! 調べてみたら、その12両は滝沢駅にあった。 何者かが意図的に連結器を外したに違いない。 事件は盛岡警察署に連絡され、捜査が始… 続きを読む
m県外・参考 2月 14日 1952 仙鉄局の新しい社宅 昭和27年2月14日の河北新報より。 岩手県のニュースではないが、当時の最新鋭の住宅事情について触れているので。 仙石線の榴ヶ岡駅前に国鉄の社宅が完成した。 この当時、仙台には鉄道公舎が400世帯分あったと言う。 しかし、そのほとんどが築30年以上も老朽化したものであったと言う。 それで、前年から新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 9日 1951 橋場線の盛岡駅北口復活して欲しい(昭和26年8月9日) 昭和26年8月9日の「夕刊いわて」より。 現在の田沢湖線は、秋田新幹線が走る影響で平成9年(1997年)から標準軌(1435mm)化し、盛岡駅の8~9番線から発車するようになっているが、これが「橋場線」だった頃、戦中~戦後の一時期は「盛岡駅北口」というのが新田町のあたりにあったようだ。 昭和19年1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1951 盛岡鉄道管理局1周年のご挨拶(昭和26年8月2日) 昭和26年8月2日の「夕刊いわて」より。 盛岡鉄道管理局は開設され1周年を迎えた。 そこで幹部が挨拶広告。 当時の盛鉄局の問題も見て取れよう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 25日 1951 盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。 終戦から6… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 13日 1951 山田線の山岸駅が実質的開業へ(昭和26年3月13日) 昭和26年3月13日の「夕刊いわて」より。 大正12年に山田線が上米内まで開業してからというもの、山岸にも駅を解説してほしいという要望は持ち上がっていた。 これが昭和25年12月に山岸中学校の正門向かいに簡易停車場として上下2列車が停車することになった。 そして、年が開けて昭和26年1月からは上下各… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 29日 1950 大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校) … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 10日 1950 釜石線全通(昭和25年10月10日) 昭和25年10月10日、釜石線が全通。 釜石製鉄所専用軌道線。昭和33年ごろ(岩波写真文庫279「岩手県」より) この当時で「岩手県第2の都市」であった釜石市は、「鉄道による外部との連絡」という点においては非常に貧弱であったと言っても過言ではない。 たしかに国鉄は山田線昭和14年に釜石まで全通してい… 続きを読む