気象

岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日)

昭和24年11月1日の岩手新報より。 10月31日、盛岡は1.6℃まで気温が下がり、岩手山は雪化粧に見舞われた。 写真はおそらく滝沢かそこら辺の牧場ではないかと考えられる。 見出しでは「零下一度六」と書いているが、気象庁のホームページによれば、盛岡の1949年10月31日の最低気温は1.6℃。 &n…
暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日)

昭和24年1月18日の岩手日報より。 当時、高松の池はスケートのメッカであり、スケートやホッケーの競技会も行われていた。 そして市民のスケート遊びの馬でもあった。 1月17日の朝10時ごろ、スケートで遊んでいた下小路中学校1年生と、その友人の下橋中学校3年生が、池の真ん中の氷の薄くなっていた所が割け…
省営バス浄法寺~荒屋新町間で沿線住民が奉仕的除雪。つまりボランティア(昭和15年1月13日) b二戸・二戸郡

省営バス浄法寺~荒屋新町間で沿線住民が奉仕的除雪。つまりボランティア(昭和15年1月13日)

昭和15年1月15日の岩手日報より。 前年、省営バス(国鉄バス)二戸線の北福岡~荒屋新町が開業して初めての冬を迎えることになった。 1月13日は浄法寺~荒屋新町間の最も難所とされている陸奥日影~陸奥川原および大柳~荒屋新町間各1キロの除雪を、住民70名余りが「奉仕的に」買って出ることとした。 この結…
盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日)

昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため…
農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日) m県外・参考

農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日)

一年の節目の一つに「二百十日」というのがある。 これは、立春から数えて210日目のことを言い、毎年9月1日がこれに当たる。 この日は昔から台風がよく来ると言われており、せっかく育ててきた稲が台風で被害に遭うか遭わないかという重大な瀬戸際でもあったから、農家にとっては非常な一大事でもあった。 そこで、…
あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) i一関・西磐井郡

あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日)

昭和6年9月1日の岩手日報より。 8月31日に19歳の少年と21歳の男を被告に開廷された自動車強盗事件の裁判があった。 これは、6月3日に自動車強盗をやろうとして失敗した。というものである。 主犯は19歳の小柄な少年。 青森の下北半島の生まれで、製材工場のエンジン係として働いていた。 そこで主人のト…
二百十日は無事に過ぎる(昭和4年9月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

二百十日は無事に過ぎる(昭和4年9月2日)

昭和4年9月2日の岩手日報より。 台風の当たり日であり、農家にとっては1年の実りを根こそぎ持っていかれる恐れのある農家の厄日「二百十日」も、今年は無事にすぎたようである。 写真は盛岡市梨木町の田んぼのようである。見事に稲が実っている。 岩手県立農事試験場の夏作定期調査によれば、この年の稲作は、大暑後…
盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(昭和2年1月9日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(昭和2年1月9日)

昭和2年1月9日の岩手日報より。 大正14年以来、盛岡~宮古間の郵便輸送は盛宮自動車によって輸送されるようになった。 しかし冬は積雪の為に運転中止され、郵便物は駄馬によりトコトコ運ばれていたという。 しかし、この冬は万難を排して冬でも自動車で輸送すると逓信局と交渉中である、ということだった。 &nb…
暴風で警察電話が全部不通になるなど甚大な被害(昭和2年1月8日) 0_主要ニュース

暴風で警察電話が全部不通になるなど甚大な被害(昭和2年1月8日)

天気の様子 当時の盛岡測候所の記録を見ると、昭和2年1月7日は降水量12.0mm、1月8日は6.1mmとなったようである。 また、天気図を見ると、昭和2年1月7日は、低気圧が対馬海峡から日本海を北上していることが分かる。 当時は気象レーダーも気象衛星もない。 各地の観測の風向や気圧から、低気圧や前線…
昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日)

昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 …
大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 0_主要ニュース

大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日)

大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈…