初等教育

海を見たことのない祭畤の子供たちを気仙沼へ(昭和33年8月18日) i一関・西磐井郡

海を見たことのない祭畤の子供たちを気仙沼へ(昭和33年8月18日)

昭和33年8月18日の岩手報知より。 岩手県内で最も降水量が多いのは、一関の山奥の「祭畤(まつるべ)」であるが、あまりに隔絶した山奥であり、子供たちは海を見たことがないというので、気仙沼の一青年が旅費を出して海に連れて行こうというもの。      …
中央の押し付けではなく、岩手県の実情に合った道徳教育をしよう(昭和33年4月18日) l全県

中央の押し付けではなく、岩手県の実情に合った道徳教育をしよう(昭和33年4月18日)

昭和33年4月19日の岩手日報と、昭和33年4月20日の読売新聞岩手版より。 岩手県教育委員会は4月18日、指導主事室・県教育研究所・現場教員の三者で、「道徳教育研究機関」を設けることにした。 このことにより、県の実態に即した道徳教育を目指すというもの。 文部省の通達では「毎週1時間道徳教育の時間を…
栗拾いで貯めたお金で八戸に修学旅行(昭和32年10月10日) c久慈・九戸郡

栗拾いで貯めたお金で八戸に修学旅行(昭和32年10月10日)

昭和32年10月12日のデーリー東北より。 種市町の中野小学校では、初めての修学旅行のために、毎日放課後に裏山で栗拾いをして資金を積み立てたのだという。 そして10月10日、6年生43人が八戸へ行き、蕪島、八戸港、ゴードー酒精八戸工場、デーリー東北を見学し、丸美屋デパートでお土産を買っていったのだと…
久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日) c久慈・九戸郡

久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日)

昭和32年10月6日のデーリー東北より。 久慈小学校では児童のではなくPTAの運動会が行われることとなった。 いつものPTAの集まりからは、さほど参加者を期待していなかったがこの日は200名も集まったという。 写真は「ミセス・コンテストレース」であるという。      …
江刺町の人首小学校がブロック建てで落成(昭和32年9月22日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺町の人首小学校がブロック建てで落成(昭和32年9月22日)

昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺町の人首小学校が江刺町では初のブロック建築で落成するという。 9月22日11時から同校で落成式が行われるという。 総工費1020万円で1019坪、普通教室が12で放送室、保健室、教材室、職員室、校長室となっていたという。    …
昭和32年、新たに開校した学校 l全県

昭和32年、新たに開校した学校

昭和32年4月1日の岩手日報より。 岩手県内で新たに開校した小・中学校は以下の通り。 ・盛岡市立中津川小学校 2学級 40名 ・和賀町立笠松小学校 6学級 221名⭐ ・田老町立田老第三小・中学校 4学級 106名 ・福岡町立根森小学校 2学級 63名 ・姉帯村立面岸小・中学校 4学級 113名 ・…
海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 d宮古・下閉伊郡

海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」

昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文…
牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日) d宮古・下閉伊郡

牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日)

昭和31年3月17日の河北新報岩手版より。 宮古港から巡航船で30分のところにある宮越白浜部落は、75世帯、人口750名の小さな漁村である。 ここにある白浜小学校には、78名の児童が通っているが、漁業の不振から部落自体の経済自体がひどくなり、600円から1000円の教科書代すら捻出できない状況であっ…
教室が寒すぎてクラスの半数が風邪に h水沢・江刺・胆沢郡

教室が寒すぎてクラスの半数が風邪に

昭和31年2月10日の岩手日報では、あまりの老朽校舎に教室を公民館に移転したものの、隙間風が寒すぎてクラスの半分が風邪をひく事態になったことを報じている。 このニュースは、現在は奥州市となっている胆沢郡前沢町の生母小学校母体分校。 築50年以上になるというので、1900年頃つまり明治30年代に建築さ…
岩大附属小学校は狭き門 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩大附属小学校は狭き門

昭和31年度の岩手大学附属小学校の入学試験は、降りしきる雪の中を2月10日に行われた。 定員80名に対し、男子90名、女子75名で約2倍の競争率。 科目は知能検査、運動機能、音感など10科目であったという。 当の子供以上に、付き添っている親の方が心配であったようだ。 結果は、12日に通知されるとのこ…
盛岡市議会文教委員会「河南地区に小学校を新設しましょう」(昭和31年1月27日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市議会文教委員会「河南地区に小学校を新設しましょう」(昭和31年1月27日)

昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡市議会文教常任委員会が1月27日に開かれた。 河南地区に小学校を新設する陳情が上がっており、これは昭和31年度は財源措置の見通しが立たず、昭和32年度から年次計画で建築するということでこれを採択したという。 その他の議題は以下の通り。 市内全小中学校に映写機…
岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察

昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 …
岩手県内に欠食児童は6,000人! l全県

岩手県内に欠食児童は6,000人!

昭和30年11月22日の岩手日報より。 日教組の岩手県支部である岩教組では、生活保障や給食対策などの基礎資料の為に、欠食児童の調査を進めていた。 そうしたところ、欠食児童は全体の2%に当たる6000名に上っていた。 地域としては下閉伊(宮古)、九戸(久慈)といった沿岸や県北に多かったという。 穀倉地…
小学校の放課後に先生方がストリップ映画の鑑賞会 h水沢・江刺・胆沢郡

小学校の放課後に先生方がストリップ映画の鑑賞会

昭和30年11月22日の岩手日報より。 江刺郡江刺町の岩谷堂小学校では、18日の放課後15時頃、児童が全員帰宅したのを見計らって、なんとストリップ映画の鑑賞会を始め、女性教諭が悲鳴を上げて逃げだしPTAや教育委員会までが調査に乗り出す騒ぎに発展したという。 これは、ふだん教育映画を納入している水沢市…
「修学旅行怖い」と中止する学校続出 a盛岡・岩手郡・紫波郡

「修学旅行怖い」と中止する学校続出

紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校…
北上バス転落事故(昭和30年5月14日) f花巻・稗貫郡

北上バス転落事故(昭和30年5月14日)

瀬戸内海で宇高連絡船紫雲丸が沈没し多くの修学旅行生が犠牲になって3日後の昭和30年5月14日のこと。 稗貫郡石鳥谷町の八日市小学校の修学旅行帰りの小学生を乗せ松島から来たた花巻電鉄の貸切バスは、夜の国道4号線を北に上り学校に戻ろうとしていた。 飯豊橋のあたりで向こうから藁を満載したお百姓さんの自転車…
ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日)

昭和29年3月12日の岩手日報より。 この当時、学校教員が政治的なデモに参加し、教育が政治色を帯びたものになることが問題になっていた。 日教組は令和となった今以上になお政治色が強く、京都では旭丘中学問題というのがこの時点でなお解決していない状態であった。 それで、国会では教員の政治介入を禁じる「教育…
へき地教育の過酷な現実 d宮古・下閉伊郡

へき地教育の過酷な現実

昭和28年12月16日の読売新聞では、全国のへき地教育の過酷な実態を報じている。 降水で丸木橋が渡れなくなると荷物用のケーブルで通学する(群馬県中里中) 山道が険しいので冬季の通学は部落民が交代で提灯を持っていく(岐阜県) 通学路は波が引いたときに数百メートルを命がけで走る(青森県脇野沢村) 子供が…
優良こども銀行に胆沢(水沢)管内から8校を推薦(昭和28年10月2日) h水沢・江刺・胆沢郡

優良こども銀行に胆沢(水沢)管内から8校を推薦(昭和28年10月2日)

昭和28年10月2日の胆江日日新聞より。 「こども銀行」とはいっても、紙幣のおもちゃではなかったようで、小学校児童の貯蓄を奨励する運動であったようだ。 昭和28年度の優良こども銀行表彰は11月19日に東京で大蔵大臣や日銀総裁により表彰が行われることになったが、岩手県知事や岩手県貯蓄推進委員会は、胆沢…
教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日) l全県

教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日)

昭和27年10月4日の岩手日報より。 激戦地・一関市の最後のお願い。 戦後の民主化により、教育委員も公選制の時期があったのだが、なかなかのカオスな状況だったようである。 それで「最後のお願い」とばかりに、自転車だ、トヨペットだ、自動車だと演説に忙しい状況であった。 ちなみに「トヨペット」が自家用車の…