諒闇でも講談社の広告は元気(S2.1.4岩手日報)

昭和2年正月――前年末に大正天皇が崩御し、日本全体が厳粛な空気に包まれていたはずの時期である。新聞紙面も「諒闇」(りょうあん)として華美を避ける風潮が一般的だった。

ところが、そうした空気をまるで意に介さないような広告が、昭和2年1月4日付『岩手日報』朝刊に掲載された。発信元は、大日本雄弁会講談社。宣伝対象は、同社が発行する総合娯楽雑誌『キング』の新年号である。

雑誌『キング』は、大正13年(1924年)創刊。読者層は中流以下の一般大衆を主なターゲットとし、安価で分厚く、読み応えのある娯楽小説・読み物・記事を満載して人気を博した。創刊から数年で発行部数は100万部を突破し、昭和初期には“日本一の大衆雑誌”として不動の地位を築いていた。

その『キング』の昭和2年新年号は、「新掲載の五大長篇傑作小説、ゼヒ始めからお読み下さい!」という大見出しとともに、大々的に紙面で紹介されている。

掲載された五作品は以下の通り。

・菊池寛『赤い白鳥』
・吉川英治『萬花地獄』
・佐藤紅緑『町の人々』
・菊池幽芳『三千代』
・中村武羅夫『青春』

当時の文壇・流行作家たちを網羅した豪華な顔ぶれである。誌面には登場人物の挿絵や作者の写真が並び、「雑誌は新号から読み始めよ」「この広告をよく御覧下さい」などの煽り文句が繰り返されている。

紙面のどこにも「喪中」や「諒闇」といった文言はなく、あくまで“年始の読み物”として堂々たる構えを見せている。まるで世情の空気を跳ね返すかのような熱量が、かえって講談社らしい。

『キング』の広告はその後も長く、講談社スタイルの象徴として語られていくが、その強烈なインパクトは、すでにこの昭和2年の新年号にも色濃く現れていた。

 


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