貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報に、盛岡駅構内で発生した痛ましい鉄道事故が報じられています。

事故が起きたのは、盛岡駅の北側に位置する貨物列車の入換線でのことでした。まだ19歳という若さの連結手が、10両編成の貨車に飛び乗ろうとした際、厳寒の気候が災いし、足を滑らせて線路上に転倒してしまいました。不運なことに、直後に接近してきた貨車に引かれ、両肩と顔面に重傷を負い、そのまま人事不省となって岩手病院(現:岩手医大附属病院)に収容されたとのことです。

記事では「寒気の為に靴が滑った」と記されていますが、冬季の鉄道作業がいかに過酷で危険なものであったかを物語っています。特に貨車の連結作業は、現在のような自動化が進む以前は、作業員が直接車両の間に入り、手作業で連結器を扱う必要がありました。そのため、わずかな油断や天候の変化が命にかかわる重大事故につながることも少なくありませんでした。

このような事故は、当時の鉄道作業員たちの厳しい労働環境を如実に物語っています。特に東北の冬は積雪と低温により滑りやすく、鉄製の足場や連結部は氷結することもあったでしょう。寒さだけでなく、重機や貨車の重量、そして時間に追われる作業環境が、常に命の危険と隣り合わせだったことを示す出来事です。

この事故を通じて、私たちは当時の鉄道現場で働いていた人々の労苦と、その命懸けの作業の上に交通の安全が成り立っていたことを、改めて思い起こす必要があるでしょう。

 


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