一方井事件(S2.1.29)
昭和2年(1927年)1月29日、岩手県岩手郡一方井村(現岩手町一方井)で発生した火災により男性が焼死しました。当初は事故死と判断されましたが、石油の臭いや頭部の裂傷から他殺の可能性が浮上しました。その後、この事件は天理教を背景にした複数の不審死を伴う猟奇的な犯罪へと発展しました。
火災後、昭和2年7月4日に火災当夜に教主格の人物が訪れた家の女性が死亡しました。この女性は毒物である水銀化合物「昇汞」を混入された食事を摂取したことで死亡したと判明しています。同年11月15日には、事件への関与が噂されていた男性が「自殺する」と言い残して失踪しましたが、後に教主格の共犯者であったことが判明しました。
さらに、昭和4年(1929年)9月12日には、焼死事件を目撃した男性が、教主格の指示を受けた関係者によって昇汞を混入された夕食を摂取し急死しました。この男性も事件の重要な目撃者であったため、口封じのための毒殺とされています。これらの不審死にはすべて教主格の人物の計画が関わり、医師が毒薬を提供していたことが捜査で明らかになりました。
捜査の結果、教主格の人物が金銭トラブルや宗教的対立を背景に、火災を装い被害者を殺害したこと、さらに証拠隠滅のために目撃者を毒殺したことが明らかになりました。昭和7年(1932年)12月9日、教主格の人物は奈良県の天理教本部への出発を装い逃亡を図りましたが、沿道に集まった信者たちを避けるため、警察は鉄道で移動中の好摩駅で逮捕を決行しました。この逮捕により事件の全容が解明され、関係者の証言や自白から一連の犯罪が明らかになりました。
昭和11年(1936年)、事件は大審院で決着を迎え、教主格の人物には死刑、共犯者にはそれぞれ懲役刑が言い渡されました。この事件は宗教団体が関与する猟奇的な犯罪として社会に大きな衝撃を与え、10年にわたる捜査と裁判を経て解決に至りました。