米内総理親任式のタイミングで盛岡市民旗行列大会(昭和15年1月16日)

昭和15年1月17日の岩手日報より。

総理大臣就任を受諾した米内光政の親任式は1月16日に行われることとなった。

このタイミングで郷里・盛岡市では岩手公園広場で市民旗行列大会が行われた。

この日の朝の最低気温は-16.3℃。

それでも岩手公園は日の丸で埋め尽くされることになった。

親任式の始まった午前11日にはすっかり晴れ渡り「米内さん晴れ」と新聞では表現している。

気象学的にいえば気温が下がったことと晴れたことはリンクしていて「放射冷却」が発生したのではないかと考える。

市長の代わりに壇上に立った盛岡市助役は、「皇紀二千六百年意義深い新春、米内海軍大将を総理大臣に戴くことになったのは郷土民の無上の喜び。由来、我々は『白河以北一山百文』の嘲り声を破り原敬が首相となり政党政治の美点を発揮した。次いで斎藤実伯爵が内閣首班となった。また、今次の事変下に岩手出身の板垣征四郎陸軍大臣、米内光政海軍大臣と陸海軍の要職を占めるに至った。そして今回米内大将が総理の任に就いたのは郷土民として矜り」とあいさつした。

万歳三唱の後、集まった市民は「河南部隊」「河北部隊」に分かれて行列することになった。

河南部隊は二の丸から菜園、下の橋を渡って河南全町を練り歩き八幡宮へ、河北部隊は二の丸から桜山神社を通って大手先、本町、四ツ家、上田、梨木町、茅町、材木町、仁王を通り桜山神社に到着。

それぞれが神社の神官の修祓を受け、米内総理の健康を祈願した。

 

 

 

 


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