扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(昭和20年8月10日)

昭和20年8月10日の新岩手日報の広告欄より。

「扶桑第六〇一工場」というところが従業員に呼びかけている。
どこの工場なのかはこの広告からは読み取れない。

現代語訳するとこんな感じだろうか。

  1. 離職したみんな、私たちは工場復旧と生産に奮闘している。
    すぐに復帰してほしい。
  2. 今日勤務したかしないかは、明日の国運にもかかる問題だ。
    一切の経緯はともかく、戦時要員としての務めを果たせ。
  3. みんなの事情は痛いほど分かる。
    でも一番やらないといけないのは戦力の増強だ。
    共に助け合って生産を頑張ろう。
  • 罹災した皆に対しては金銭的援助をするなりできる限りのことはするから工場主に相談してほしい。
  • 仕方なく工場を離れるなら最寄りの警察署か勤労動員所長に申告して、工場長に許可を得てほしい。
  • この工場を辞めてきた人がいたら市町村長、警察官、隣組長、知人から「扶桑第六〇一工場に戻れ」と言ってほしい。

戦時下とはいえ、これはどんなブラックな工場・・・?
というか、「扶桑第601工場」ってどこ・・・? 岩手県内?

そう思って探したら、おそらくはオランダの戦時捕虜に関するアーカイブに行き当たった。

「扶桑第六〇一工場」とは釜石にあったらしい。
また、「墜道」で「窒息死」とあるので、トンネルのある職場なのだろう。

そうすると、釜石鉱山の製錬所あたりか・・・?

また、このオランダ兵さんが亡くなられたのは、まさにこの広告が出された昭和20年8月9日なのである。
何とも痛ましい話であることよ。。。

この日は、釜石に2度目の艦砲射撃のあった日であった。
艦砲射撃で工員が「てんでんこ」に逃げていったのではないだろうか。

 

 


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