岩手でも報じられた築地八宝亭事件(S26.3.11夕刊いわて)
1951年3月11日
2026年1月2日
昭和26年の築地八宝亭事件は。アプレゲール犯罪として、後世に語り継がれるほどの事件であった。
この事件の犯人の自殺は、小さい扱いながらも岩手県内でも報じられていた。
昭和26年3月11日付の「夕刊いわて」の紙面には、戦後の犯罪史上でも特に有名な築地八宝亭一家殺人事件の幕引きが記されています。この事件は東京の築地で中華料理店を営む一家4人が惨殺されたものですが、犯人である山口幸男が逮捕直後に警察署内で自ら命を絶ったという衝撃的なニュースは、遠く離れた岩手の地でもこれほど大きく報じられていました。
紙面を読み解くと、共同通信の速報を受け、山口が11日の午前4時10分ごろに毒物を飲んで自殺したことが記されています。この事件は、犯人が当初は被害者遺族のような顔をして捜査に協力するふりをし、世間や警察を欺き続けていたことから、当時の日本中がその行方に注目していました。インターネットもテレビも普及していない時代において、岩手の地方紙が東京の事件をこれほど紙面を割いて速報している事実は、この事件がいかに社会全体を震撼させていたかを物語っています。
不鮮明な文字の中には、現代の表現では考えられないような生々しい記述も見受けられ、当時の報道のあり方や社会の緊迫感がそのまま封じ込められているようです。犯人の自決によって多くの謎が残されることになったこの事件の終焉を、当時の岩手の人々がどのような思いでこの記事から読み取ったのか、一枚の古い新聞記事が歴史の証言者として多くのことを伝えてくれます。
