今晩のラジオ(S26.3.13夕刊いわて)
昭和26年3月13日の「夕刊いわて」を広げると、そこには今から70年以上も前の岩手の夜が鮮やかに刻まれています。この時代の岩手には、まだ民放のラジオ岩手(現在のIBC岩手放送)は存在せず、人々の耳を独占していたのはNHK盛岡放送局だけでした。特筆すべきは、番組表に「第一」と「第二」の二つの放送が並んでいる点です。盛岡で第二放送が開始されたのはこの前年である昭和25年3月のことであり、この資料は岩手の放送文化が「二波体制」という新しい時代に踏み出したばかりの、非常に貴重な記録と言えます。
当時の第一放送と第二放送には、現代以上に明確な役割の違いがありました。第一放送は、まさに家庭の団らんの中心であり、大衆的な娯楽を届けるメインチャンネルでした。夕方5時半から始まる子供たちの楽しみ「さくらんぼ大将」に始まり、夜8時すぎには100回記念を迎えた人気バラエティ「陽気な喫茶店」が放送されています。さらに夜9時台の「街頭録音」では、吉田内閣への要望を市民に問うといった、戦後復興期の熱気を感じさせる社会派の番組も組まれていました。
対して、開局から一周年を迎えたばかりの第二放送は、知的好奇心や芸術を愛する人々のためのチャンネルでした。「研究と実験」といった教育的な内容から、夜には四家文子によるラジオ・リサイタルや室内楽のピアノ三重奏が放送されており、娯楽の第一に対して、静かに教養を高めるという棲み分けがなされていました。当時はテレビもまだ普及していない時代ですから、ラジオのダイヤルを切り替えることは、そのまま自分の部屋を劇場や教室に変えるような特別な体験だったはずです。
番組表の端に見える「ローカル」という文字も、地方の放送局が全国放送の合間に郷土の情報を必死に届けていた証として胸を打ちます。真空管ラジオが放つ独特の温かい光とともに、岩手の人々がこれら二つの放送を使い分けながら夜を過ごしていた光景が目に浮かぶようです。この一枚の紙面は、単なる放送予定表ではなく、戦後から立ち上がり、新しい文化を吸収しようとしていた盛岡の息遣いを今に伝えるタイムカプセルそのものと言えるでしょう。