盛岡・「三つの歌」の時間の喧嘩殺人(S28.3.2)

昭和28年3月2日、岩手県盛岡市で殺人事件が発生しました。この日は暦の上では春でしたが、みちのく地方ではまだ寒く、午後になると天候が急変してみぞれが降り始めました。午後7時50分ごろ、盛岡市舘坂の通称「工機部通り」で、国鉄盛岡工場に勤務する30歳の技工男性が刃物で複数回刺され、搬送先の盛岡市内の鉄道病院で死亡しました。男性は左肩、顎、腹部を刺され、下腹部の傷が致命傷となりました。

被害者は午後5時30分ごろ、盛岡市新田町のそば屋で同僚と清酒や濁酒を飲み、その後、駅前に向かう途中で通りすがりの男性と洋傘が触れたことをきっかけに口論になりました。その後、被害者が一人で工機部通りを歩いていた際、暗闇から現れた犯人に襲撃されました。被害者の同僚は20メートルほど後ろを歩いていましたが、犯人の顔や詳細を確認できませんでした。

事件現場は人家の前でしたが、当時、住民たちは午後7時30分から放送されていた「NHK三つの歌」を聴いており、事件の物音には気づきませんでした。このため、目撃証言は得られず、捜査は難航しました。唯一の物的証拠として、現場には一本の洋傘が遺されていました。警察はこの洋傘の所有者を特定しようと、市内外の修理業者に聞き込みを行いましたが、捜査は停滞しました。

5月初旬、捜査班は花巻市の結核療養所に入所していた患者が事件当日に盛岡市を訪れ、短刀を所持していたとの情報を得ました。この人物が過去に盛岡市新田町で下宿していたことや、事件当日現場近くで被害者と接触していたことが判明しました。捜査班は5月16日、宮城県の結核療養所で容疑者を逮捕しました。

調べによると、容疑者は事件当日午後7時ごろ、盛岡市片原通りを洋傘をさして歩いていた際、被害者とその同僚に絡まれ、暴行を受けた末、身の危険を感じて短刀で反撃しました。裁判では犯行が過剰防衛と認定され、容疑者の健康状態や社会的背景が考慮されました。昭和29年7月8日、盛岡地裁は懲役3年の判決を言い渡しました。

事件は、「三つの歌」を住民たちが聴いていて周囲の音に気づかなかったこと、洋傘を手がかりに執念の捜査が行われた点が特徴的でした。


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