ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日)

昭和28年10月20日の胆江日日新聞より。

この時代、まだ食糧管理制度ではコメは配給制であり、国への供米を通さない米は「ヤミ米」として厳しく取り締まられていた。

しかしこのヤミ米の値だが急に上がりだし、米作地帯ですら戦時中のおかゆの時代に逆戻りするのではないかと戦々恐々であった。

お米の配給は町村は19日分であったが、従来はヤミの方が安かったので配給を受けるものがほとんどない時代があり、配給自体分は各家庭に流れていたが、最近はそんな辞退も無くなったという。

それで、19日分の他は自由販売の麦やうどんで補わなければならなかったという。

そのうちヤミ米入手の為に衣料を手放す農家もあるのではないかといううわさが立てられていた。

 

 


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です