警察が自らグロ書籍!?『岩手の重要犯罪』に批判(昭和34年3月4日)
昭和34年2月25日、岩手県警察本部から『岩手の重要犯罪』という書籍が出版された。
新入荷
(閲覧注意)岩手県警察本部編『岩手の重要犯罪』
昭和34年 この本あまり知られていませんが発禁です pic.twitter.com/0tejEtfq1l— 文庫 櫂 店 (@bunko_kai) August 20, 2020
見ての通りの本である。
表紙を開いて早々、目に入るのはこの写真。
当然のように批判が集まることになった。
いや、より正確に言えば朝日新聞盛岡支局がその批判の論陣を張ることになった。
昭和34年3月4日の朝日新聞では「県警出版の本に批判の声 旧悪をあばく恐れ」と、刑を終え構成した元犯罪者のプライバシーの観点からその出版を批判している。
例えば、昭和20年の終戦後に発生した事件だけでも24件掲載しているのだ。
終戦から14年経過した昭和34年とは、現在の時間感覚で言えば、令和3年(2021年)から14年前の平成19年(2007年)ということになる。
充分「最近」と言っていい時間軸だ。
この記事で挙げられている例としては、戦前に犯した殺人事件で、本名に近い仮名を書いて掲載されたある人は、長期の刑を終え現在は別の市に住んでおり3人の子供まで挙げて暮らしていたが、『岩手の重要犯罪』が発行されたことにより「実はあの人ではないか」と噂されるようになったのだという。
ちなみに、当ブログの管理人も、「仮名で出ている恐ろしい事件」ということで、どの事件かなんとなく分かってしまった。
これに対して、警察関係者はどのようにコメントしたか。
岩手県警本部長
「犯罪氏という歴史的な資料で、犯人の名前まで全部仮名にするのはどうなのか。判決は誰にでも公開している。当時の新聞には本名で出ている。寝た子を起こす様なことがあれば、それは勘弁してほしい」
「勘弁してほしい」で済ませるとはなかなかの度胸である。
令和の今ならリベラル派の弁護士がドリームチームで訴訟団を組んで、県警本部長もただではいられなかっただろう。
また、これを東京の「本店」はどう思っていたか。
警察庁刑事部長
「この問題は『公開裁判』にもかかわる。現行法では裁判は公開。秩序維持のためににも犯罪者の名誉はある程度おかされている。公益性と侵害のつり合いだろう。しかし直ちに悪いと結論はできないだろう。旧悪をあばくのが悪いというなら伝記物や歴史ものは書けないのではないか? ただ編集の上でもう少し慎重だったらとは思う」
このような感じで、身内をかばうコメントに終始していた。
そして、翌3月5日の朝日新聞岩手版では、プライバシーの面だけではなく、写真の猟奇性についても批判をしている。
驚くべきことに「小、中学校に三百部を予約販売し、さらに小、中学校および公民館に四百部の予約を取っているほか、五日には数百部を一般書店の店頭に出した」というのである。
まあ・・・これを小学生が読んだら確実にトラウマになるだろう。
これに対し、県内外では以下のようなコメントが寄せられている。
推薦状を書いた岩手大学教授
「出版元に頼まれて推薦状を書いたが、まだ本の内容はよく読んでいない。
ただ、
殺人現場のカラー写真は出すなと言っていたところ。社会生活で尾を引くような内容はもっと注意すべきだった」
推薦状を書いたけど読んでないって・・・
まるで自著を「まだ読んでません」と言ってのけたアイドル時代の松本伊代ではないか。
盛岡市社会教育課長
「この本を開くとあの生々しい写真が出てくるので読みたくなかったほど。
犯罪防止のために出したというが、あのどぎつい本では逆効果ではないか。
推薦状には「青年以上しか読まないように」と出した方が良かったのではないか」
まあこのあたりが良心ある大人の一般的な反応であろう。
そして朝日新聞は全国紙であるだけに、文部省からもコメントをとっている。
当時朝日新聞の本社があった有楽町から虎ノ門は、歩いてもすぐ行ける距離である。
文部省初中等教育局長
「写真などを見ると大変どぎつくて刺激的。
学校で買う必要がある本とは思えない。
児童生徒の目につかないような配慮をしてほしい」
ちなみに言うと、この時代というのは「防犯展」と言って、マネキンを使った犯罪現場の再現などをデパートの屋上でやっていた時代でもある。
警察の感覚も、その程度のものであっただろうか。
その翌日の3月6日の朝日新聞岩手版も、まだその追撃を緩めない。
県内の各界から(知事まで!)コメントを掲載している。
県警本部長
「あくまで犯罪防止が狙い。カラー写真を使ったのが悪いというが、全国のデパートでやる防犯展では同じような写真を出している。交通事故の悲惨な写真を出すのも交通規則を守りましょうと呼びかけるため。
カラー写真はもっと慎重でもよかったかもしれない。警察は凄惨な現場を見慣れているので、感覚がマヒしているのかもしれない。
それと、世間には同じような本がたくさんある。この本だけ批判されるのはおかしい」
ほうほう、世間の風俗を取り締まるはずの警察が、世間に流されて自分から風紀を紊乱しに行くと?
続いて、出版の事務方の責任者であろう県警教養課長のコメント。
県警教養課長
「あくまでこの本の目的は資料的な犯罪史。仮名で出したら価値がなくなる。
大体にして当時の新聞だって本名で報道されているが?
刑を終え静かに暮らしている人を変な目で見るとしたら、そちらの方がおかしいのだからそれを批判してほしい。
カラー写真だってそれほど残虐とは思わない。
不快なら買わなければいい」
もう完全に開き直ってる。
次は検察のコメント。
盛岡地検検事正
「まだ本を見てるので何とも言えないが、しかし警察の仕事は出版ではないだろう」
こちらは警察に配慮した慎重なコメントとなっている。
次は、大本丸の阿部知事のコメントである。
知事は、県の青少年問題協議会会長も務めており、小中学校にも頒布されているこの本についてコメントを求めるべき正当性はあった。
阿部知事
「この本について、県警本部長から報告は受けていないので批判は控えたい。
殺人現場のカラー写真は入れる必要があったのかどうか。
第三者的な立場で言えば、市販せずに非売品にすればよかったのではないだろうか」
岩手県知事は、岩手県警を監督する立場。
そうそう市民感情に乗って批判することはできなかっただろう。
(維新の大阪府知事ならするかもしれないが。実際に桜宮高校の体罰事件では大阪府知事だった橋下徹は口を極めて批判し、挙句の果てに懲戒免職処分としてポピュリストの面目を果たした)
次は岩手県教育長のコメント。
岩手県教育長
「写真はどぎつすぎる。犯罪防止に役立つとは思えない。
人間のうちに潜む残虐性を呼び起こしそうだ。
社会科の授業で使うなんてとんでもない」
ただ、どうなんだろう。
社会的に批判的な論調になっているからこのように答えただけで、そうでなければ「大いに役立ててほしい」なんて言っていた可能性もあるのではないだろうか。
次は、県青少年問題協議会副会長も務める県厚生部長のコメント。
岩手県厚生部長
「写真はゆきすぎ。
世間には精神異常者がたくさんいるというが、この人たちへの刺激という点でも問題があるのではないか」
岩手県の医療行政を預かる厚生部長が「精神異常者がたくさんいるというが・・・」という他人事のようなコメントはどうなんだろう。
また、その当時の実感として「目に見えて増えている」ということであれば、戦時のPTSDなどはあったのだろうか。
最後は、岩手医大精神科教授のコメント。
岩手医大精神科教授
「犯罪資料をまとめたことには意義がある。私もこの本に出てくる犯罪者に精神鑑定も行った。
ただ、非売品とばかりおもっていたのだが。
この本の写真は刺激的を通り越して嫌悪感しか出ない。
写真がなくても本の内容が不足するとは思えないのだが。
新聞でも犯罪の手口などを細かく書けば社会への影響が問題になるのだからもう少し慎重でもよかったのでは」
資料的な価値には一定の評価をしつつも、写真のどぎつさには批判的であった。
一連の批判キャンペーンは、当時の朝日新聞盛岡支局にいた記者が回想的に振り返っている。
ここでは、
肩書きのない、ただの人に寄せる心の深さと、権力の座にある人に対 するきびしい目には身のひきしまる思いがした。
と書いているが、はてさてマスコミ全体を見渡してみればどうだろう。
京アニ放火殺人事件でも、マスコミは「生きた証を残すため」と被害者の実名報道にこだわったではないか。
マスコミだって、プライバシーということに対してどこまで自浄能力があるのやら、わかったものではない。
ところで、この「岩手の重要犯罪」、この本はまさに当ブログの管理人を「昭和史沼」に引き込んだきっかけとなる本である。
この本を書いた県警の担当者は、おそらく講談のセンスがあるのではないだろうか。
本来、大々的に広げるべきではない犯罪の話を「さあ皆さん読んでください!」とばかりに、大時代的な論調で読者の気を引こうとしているのだ。
後年、自分は各都道府県の警察史も収集して読むことになるのだが、この「岩手の重要犯罪」以上の本に出会ったことはない。
ちなみに、「少年犯罪データベース」でも、「岩手の重要犯罪」に基づいた意見がなされているが、実はこの意見を出したのは当ブログの管理人である。
一応余談まで。