北上で聾啞の男が老婆を絞殺(昭和42年5月4日)
昭和42年5月4日の早朝、北上市内の山林で老婆の絞殺死体が発見された。
老婆は前日3日の朝、山菜取りに出かけたが、夜になっても帰宅しなかったので家人が自家所有の山林を探し回っていたら、杉林の中で死体となっていたのである。
北上署は、近隣の不良を中心に怨恨と痴情の線で捜査を展開することとした。
また、3日は憲法記念日で休みであった。
それで山菜取りに山へ行った者についても割り出すこととした。
ところが、何日たっても有力な手掛かりが見つからない。
それと、殺したいほど恨んでいるという人もいなさそうだ。
そうすると痴情か・・・?
それでも、目撃証言を中心に手掛かりをつかむことに奔走していった。
ただ、地元の高校生が「自転車の背の高い男」を目撃したなど、証言は集まっていった。
そして事件から1週間が経過した5月11日のこと。
現場から20km以上離れた江刺市内の29歳の土木作業員が容疑者として浮かんできたのだ。
ところが、その男は耳も聞こえないし話せない聾啞の男だった。
家は貧しく、聾学校に通わせたこともない。
それで学校にも通わず、手話も覚えずにただ農作業や土木工事だけして成長したのである。
取り調べをすると言っても、手話すら知らないというのだから警察も県立聾学校の教諭もお手上げである。
結局、花巻市内にこの男と手まねでやり取りした人がいるというので、聾学校の教諭とその花巻の人を介した「二重通訳」で取り調べを進めることにした。
ただ、被害者と同年配の女性数人の写真の中から被害者を選び出し、手を合わせて拝みだすなど、事件に関係するものに強く反応するなど、真犯人であるとの心証を強くした。
どうやら、襲い掛かろうとしたところ抵抗されて逆上したということらしい。
そんな聾唖の男であったが、働き者ではあり近所の評判は悪くなく「あの男がそんなことを?」と驚いているようだった。
結局、翌昭和43年12月4日、盛岡地方裁判所で懲役5年の判決があった。