暴力団監禁リンチ事件(S37.7.30)

昭和37年7月24日、松葉会岩手支部長の内妻が、多額の借財を理由に身の危険を感じ、松葉会の若い組員とともに岩手県一関市から逃亡。2人は宮城県古川市を経て、最終的に塩釜市旭町の旅館「寿旅館」に潜伏しました。

7月30日正午過ぎ、松葉会岩手支部長を含む4名が塩釜市旭町の「寿旅館」を訪れ、内妻と組員を発見。組員は暴行を受け、車に閉じ込められたまま宮城県栗原郡金成町荻野の山林へ連行されました。午後4時30分頃、暴力団幹部らは、首吊りによる自殺を装わせて組員を殺害しようとしましたが、失敗しました。

7月31日未明、暴力団幹部らは次に睡眠薬を用いた殺害計画を実行しました。組員に大量の睡眠薬を飲ませた上で、岩手県下閉伊郡山田町豊間根の通称プナ峠にある山林へ連れて行き、意識を失った状態で放置しました。その後、幹部らは釜石市を経由して岩手県一関市へ戻りました。

7月31日から8月1日にかけて、意識を取り戻した組員が山を下る途中で山田町豊間根地区の住民に発見され、その後、キャンプ旅行中だった東京都早稲田大学商学部の学生グループ5名に救助されました。午前5時30分頃、組員は宮古市の宮古警察署にて「松葉会の幹部に2度殺されかけた」と訴え、捜査が開始されました。

8月1日午後、松葉会岩手支部長と幹部1名が一関警察署にて逮捕されました。翌日、運転手も逮捕され、宮古警察署に移送されました。

8月8日、行方が分からなかった内妻が一関警察署に出頭。供述を得た結果、捜査は新たな進展を迎えました。同日までに第一犯行現場である宮城県栗原郡金成町荻野の山林が確認され、証拠品が押収されました。

8月15日、新たな共犯者である暴力団幹部が特定され、指名手配されました。8月26日、当該幹部が一関警察署に出頭し、逮捕されました。

昭和37年8月23日、主犯を含む3名が盛岡地方裁判所に起訴され、その後、8月26日に逮捕された共犯者も追起訴されました。裁判は9回にわたり審理され、昭和38年6月12日、松葉会岩手支部長に懲役5年、他の3名に懲役3年および1年6か月の刑が言い渡されました。

この事件は、松葉会岩手支部内部の私刑行為を背景とした重大事件であり、岩手県および宮城県各地の山林を舞台に、暴力団の残虐な内部抗争の一端が明らかになったものです。


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