県内で「おせり」(馬市)盛ん(S27.10.9岩手日報)
昭和27年10月9日の岩手日報に掲載された写真記事は、まさに「馬とともに生きた岩手」の空気を閉じ込めた一枚でした。
いまではトラクターが当たり前になりましたが、戦後まもないこの時代、農家にとって馬はかけがえのない家族であり、働き手であり、暮らしを支える存在でした。
岩手と馬文化
岩手には古くから“馬文化”があります。

明治以降は帝国陸軍の騎兵第3旅団が盛岡に置かれ、軍馬の需要も多かった地域です。
そして現在も続く「チャグチャグ馬コ」。華やかな装束をまとった馬が盛岡を歩くあの風景は、先人たちが大切にしてきた馬との生活、その延長線上にあります。
農機具が充実する前、農家の労働力の中心はまさに馬。
田畑を耕し、荷物を運び、生活そのものを支える存在でした。
秋の風物詩「南部おせり」
そんな岩手の秋を彩ったのが「南部おせり(馬市)」。
記事の写真にも、馬を引いて会場へ向かう農家の人々、威勢よく取引が行われる場面、そして買い手と売り手が盃を交わし祝う様子が映し出されています。
おせりは単なる家畜市ではありません。
農家にとっては生活を支える大事な馬を迎える、あるいは手放す“大きな節目”。
そこには緊張もあれば、期待もあり、そして年に一度の“祭り”の雰囲気もあったようです。
馬を見極める真剣な眼差し、にぎやかな人だかり、そして商談がまとまったあとの盃──
写真全体から、馬とともにあった時代の息遣いが感じられます。
馬がいた暮らしを想う
いま農村から馬の姿を見る機会はほとんどなくなりました。
しかし、こうした古い紙面を見ると、岩手の生活と馬がどれほど深く結びついていたかがよく分かります。
チャグチャグ馬コをはじめとする祭礼も、単なる観光行事ではなく、
「馬とともにあった生活の記憶」を今に伝える文化そのものなのだと、あらためて感じさせられます。
秋の南部おせり──そこには、かつての岩手を支えた馬たちと、人々の営みがありました。