「全国第二の町」江刺町の鉄道計画(昭和33年7月26日)

昭和33年7月26日の岩手民声新聞より。

昭和30年に岩谷堂町を中心に江刺郡の町村を大同合併した江刺町は、人口5万を超え「全国第2の町」となっていた。

しかし、悲しいかな鉄道だけが無いのだ。
それで、工場誘致や総合開発でどれだけ悲哀を味わわされてきたことか。

それで、昭和15年には岩谷堂町・伊手村・藤里村などで「横黒線延長期成同盟」が結成されている。

これに対し、玉里村や米里村では、水沢から大船渡を結ぶ「胆江線期成同盟」も結成され、綱引きとなることとなった。

そして昭和16年に現地調査の結果、以下のことから横黒線延長に軍配が上がることとなった。

  1. 北上山地の勾配が120m緩く、トンネル不要。
  2. 距離が15km短縮される。
  3. 建設費が17億円節減できる。

それで設計書もできたのだが、戦争で中止となった。

それ以降、鉄道敷設計画は沙汰止みになっていたところであった。

しかし、市制も間近となっており、改めて県選出の国会議員とも語らって中央に陳情しようという流れになっていたようであった。

 

ところで、岩手開発鉄道は世が世なら釜石線の平倉ではなく水沢までつながっていたのかもしれないということのようだ・・・

 

 


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