聖上の御脳安かれと盛岡市内各銀行の代表者が八幡宮で祈願(大正15年12月13日)

聖上(つまり大正天皇)は肺炎でご体調が優れず、葉山御用邸で病臥されていた。
それで、毎日の数時間おきの「御体温」「御呼吸」「御脈」が新聞の一面にて報道されていた。

そしてそれはラジオでも報道され、実際にラジオの契約件数が飛躍的に増加した時期でもあったのだという。

聖上の御快癒祈願は岩手県内でも行われていた。

岩手日報(大正15年12月14日)より

盛岡八幡宮では、市内各銀行(盛岡銀行、岩手銀行、九十銀行、農工銀行、岩手貯蓄銀行、信託銀行、岩手無尽)及び盛岡倉庫、岩手日報の代表が集まり、平癒祈願を行なったという。

また、稗貫郡花巻町では稲荷神社で有力者による平癒祈願が行われたのだという。

また、現在は同じ花巻市になっている稗貫郡宮野目村(現在の花巻空港付近)でも、宮野目小学校の校長以下全校生徒が村社御嶽神社に平癒祈願を行なったとのこと。

 

 

 

 

 

 

 


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