宮古ではカツオ漁船が全滅の危機(昭和5年3月1日)
1930年3月1日
2021年12月29日
昭和5年3月1日の岩手日報より。
令和の今でこそ宮古港はサンマなどで知られるが、この当時の記事の書きぶりによれば「宮古港漁業家が唯一の生命とする鰹漁」とある。
カツオというと高知や枕崎など、南の方の魚というイメージが強いが、実際に水揚げ日本一の漁港は気仙沼港であったり、県内でも今なお岩手日報で大船渡港の初ガツオのニュースが報じられていたりする。
ともかくも、この当時カツオが不漁で宮古港ではカツオ漁船が絶滅の危機にあったのだという。