昭和っ子が初めて小学校を卒業(S13.3.26岩手日報)

昭和13年3月26日の岩手日報は、時代が大きな節目を迎えたことを告げる記念碑的な紙面となっています。この年、ついに昭和生まれの子供たちが初めて小学校、当時の尋常小学校を卒業する時を迎えたからです。

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記事の主役である最初の昭和っ子たちは、正確には大正から昭和へと元号が改まった昭和1年12月26日から、翌昭和2年4月1日までに生まれた子供たちを指しています。昭和1年は12月25日から大晦日までのわずか1週間足らずという極めて短い期間でしたが、その激動の数日間に産声を上げ、新しい元号を最初に授かった希少な世代が、12年の歳月を経て学び舎を巣立っていったのです。

この記事の中で記者は、卒業生たちの名前に現れた興味深い変化に注目しています。男の子の名前については、明治や大正の時代に主流であった「郎」のつく名前が以前に比べて少なくなっていると指摘しています。家父長制の影が濃い伝統的な命名から、より簡潔で新しい時代を感じさせる響きへと流行が移り変わっていた様子が伺えます。

さらに目を引くのが女の子の名前の変遷です。記事では、当時の親たちが子供に託した思いを文学趣味と表現しており、具体例としてルリ子やルミ子といったモダンでハイカラな名前が増えていることを伝えています。大正デモクラシーの自由な空気の中で育った親世代が、昭和という新時代を生きる娘たちに、それまでの日本的な情緒とは一線を画す洗練された美しさや華やかさを求めた結果と言えるでしょう。

盛岡市内の仁王、城南、河南、河北といった10の小学校で行われた卒業式の記録は、単なる名簿の羅列ではなく、新しい時代の幕開けを象徴する群像劇でもあります。しかし、晴れやかな門出を祝う紙面の下部には防毒マスクの広告などが掲載されており、自由でモダンな名前を授けられた子供たちが、これから戦争という過酷な昭和の激流に飲み込まれていく予兆も同居しています。

80数年前の岩手で、希望を胸に卒業証書を手にした最初の昭和っ子たち。彼らの名前に刻まれた親の願いと、昭和1年という極めて短い時間に始まった運命的な物語が、この1枚の新聞には凝縮されています。


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