新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日)

昭和15年1月31日の新岩手日報より。

この時期は日中戦争期であり、連日その戦況が新聞で報じられていた。

誰が情報を発信していたかと言えば、それは各部隊に従軍記者が随行していたからである。

この従軍記者により、郷土出身の将兵の武勲が県民に伝えられていたのである。

そしてここに8人目の従軍記者を送ることになった。

 

このように1面で囲み記事で紹介されるということは、名誉なことであっただろうか。

それとも、徴兵されることと同じで「祝われ」ながらも死を意識した足取りだっただろうか。

 


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