いわて献血ことはじめ

昭和29年3月18日の岩手日報より。

7月から、日赤盛岡病院では「血液銀行」を開始するという。

「血液銀行」の電気冷蔵庫。

日本で初めての「血液銀行」は、昭和27年4月の日赤東京中央病院に解説したのが初めてであるという。

それ以降、試験的に献血奉仕を行っていたが、事故や災害時に大きな効果を発揮していたので、全国20か所に新設することにしたのだという。

このうち、東北では仙台・秋田・盛岡に設置することとなった。

この設置費は、日赤本社の補助金50万円、「お年玉はがき」の募金30万円が充てられるという。

 

施設は電気冷蔵庫、加圧滅菌器などを装備し、血液を永久に保存できるようにするという。

また、災害現場などに向かう場合に備え特殊な装備を施した輸送車などが6月に到着するという。

 

この血液銀行は、健康な時に若干の血液を預かり、輸血を必要とするときに直ちに引き出して利用するものであるという。

各家庭・個人、工場、会社などを単位として採血し、その中でも1人でも輸血が必要であればすると言う。

これに向けて、パンフレットなどで啓もうしていくということであった。

 

この当時、一般に売買されている血液(売血?)は100グラムで750円もして貧困者は二の足を踏む状態であったという。

血液輸送は8時間が保証されており、盛岡から8時間以内で行ける所であれば輸血が可能であるという。

 

 


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