県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日)
1955年8月6日
2022年4月10日
昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。
戦前の知事官選制の時代にあって岩手県知事を6年勤めた石黒英彦により創設された国粋主義的農業教育施設「六原道場」は戦後、県立六原農場として再出発していた。
そしてこの時は、生産していた牛乳を北上市内で安く売るなどしていたようである。
このことに対し、北上市内の牛乳業者は反対を唱えていた。
「こちらは殺菌・保冷施設代やら税金やらを払っているのに、その税金でこちらより牛乳を安く売るとは、民業を圧迫しているのか」と。
もしこれが受け入れられなければ、県議会に問題を持ち込むと息巻いていた。
北上の業者によると、六原農場では日産5~6斗の生産であり、そのほかは金ヶ崎町内の酪農家や雪印乳業水沢工場から9斗~1石買い入れて加工し、牛乳を生産して北上市内に出しているという。
このために、業者側は100石以上の残乳を出す状態であったという。
業者側は牛乳1本を11円から10円に値下げすることで対抗したが、農場長は「10円を割ってもまだ利益が出る。近く盛岡にも進出したい」と広言していたという。
県側は「自分たちだけで生産したものを売るだけならまだしも、一般農家から原乳を買ってまでとはあ行きすぎ」という態度を示しており、近く調査に乗り出す構えであった。