「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(S31.1.14岩手日報)
昭和31年1月14日の岩手日報に掲載された古い記事は、華やかな舞台の裏側にあった芸人たちの厳しい現実と、それを乗り越えようとした熱い人情を伝えています。この記事の中心となっているのは、のんき節で一世を風靡し、戦後は国会議員も務めた石田一松の悲劇的な最期です。彼は胃がんを患い、約1年半にわたる闘病生活の中で1日5,000円という当時としては破格の治療費を費やし、生活は困窮を極めていました。

しかし、彼が亡くなる直前、演芸界の仲間たちは驚くべき行動に出ていました。昭和30年12月27日の夜、新宿末廣亭で開催された「石田一松を助ける会」です。この日の様子を古川ロッパの日記が克明に記しています。ロッパはこの日、東宝劇場の舞台初日で多忙を極めていましたが、トニー谷から是非一緒に行こうと誘われ、仕事の合間を縫って末廣亭へ駆けつけました。会場では三遊亭金馬が進行役を務め、古今亭志ん生が笑いを取りながら炭坑節を踊るなど、当時のスターたちが一堂に会する熱気あふれる舞台が繰り広げられていました。
ここで注目すべきはトニー谷の存在です。彼は当時、そのあまりに毒の強い芸風から同僚や世間に忌み嫌われ、孤立した存在でもありました。しかし、この年の7月に長男の誘拐事件が起き、自分の芸風が原因で息子が危険にさらされた事実に大きな衝撃を受けていました。いわば毒気を抜かれた状態にあったトニー谷でしたが、この夜は仲間の危機に誰よりも熱心に動いていたのです。
この会に出演した芸人たちは全員が無料出演を申し出、集まった17万2,000円という多額の収益は経費を引くことなく全額が石田一松の病床へ届けられました。石田一松はこの仲間たちの志を知り、涙を流して喜んだといいます。残念ながらその直後に彼は息を引き取りますが、この出来事をきっかけに、仲間が困ったときに助け合える相互扶助の組織を作ろうという声が上がり、現代の芸人共済のルーツとなる動きが始まりました。
昭和30年代という激動の時代、新宿の片隅で起きたこの出来事は、単なる寄付の美談ではありません。自分たちも決して楽ではない暮らしの中で、仲間のためにノーギャラで舞台に立ち、全額を差し出すという芸人の粋と、事件を経て人の痛みを知ったトニー谷の静かな献身が刻まれています。当時の岩手の人々が読んだこのニュースには、今も色褪せない人間の温もりが宿っています。
