中共から来た青年団がわんこそばに大喜び

昭和32年4月20日の読売新聞岩手版より。

中華人民共和国(当時は国交なし)から青年代表団5名が来日していたが、4月18日には青森から盛岡に来て繋温泉で宿泊。

翌19日には岩手大学農学部を見学し、阿部知事の招待に応じわんこそばで昼食会を行った。

この日の午後には県青年協会との交歓会に出席。
その後一関市に向かい、20日には市の青年連盟との交歓会に出席し、福島県に向かう予定だとのことであった・

メンバーの内訳は以下の通り。

  • 青年代表団団長、第1班班長
  • 上海市民青年連合会副主席
  • 中華全国キリスト教女子青年会全国協議会学生部長
  • 中国青年報副総編集
  • 中華民主全国青年連合会国際部、通訳

団長は、「こんなに歓迎されると思わなかった。私たちは戦争中に日本に痛めつけられたことを忘れ、それを乗り越えて日中の友好を深めたい」と喜んでいた。

 

ところで、この時期の中国と言えば、文化大革命の前の「大躍進政策」の時代。

1930年代に生まれたであろう彼らも今や老境に達しているはずであるが、その後の文化大革命や改革開放の時代をどのように生きただろうか。

 

 

 

 

 


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