盛岡市役所など各地で大行天皇の遥拝所設置(S元.12.26岩手日報)
1926年12月26日
2025年7月29日
1926年12月25日、大正天皇が崩御され、新たに「大行天皇(たいこうてんのう)」と追号された。この訃報を受け、全国各地では「遥拝所(ようはいじょ)」と呼ばれる仮祭壇が設けられ、官民問わず多くの人々が天皇に対する哀悼と敬意の意を表するため参拝・記帳を行った。
盛岡市役所にもこの遥拝所が設置され、市民や職員が静かに参拝の列を成した。写真には、当時の盛岡市長・北田親氏(きただ ちかうじ)が記帳する様子が写されている。
北田氏は1860年(安政7年)に陸奥国岩手郡盛岡に生まれ、巡査から警部、盛岡警察署長を経て、岩手県勧業課長や下閉伊郡長などを歴任。1906年から1期、1910年から再任されて以後1928年まで市長を務めた人物であり、在任中は中津川の護岸工事や橋梁の復旧に尽力するなど、治水と都市整備に功績を残した。
このように、地域の首長自らが「大行天皇」に対する記帳を行うことは、当時の社会における天皇の存在の重みを如実に物語っている。盛岡に限らず、岩手県内外の赤十字支部や消防組織、学校など、各所で同様の追悼儀礼が行われた様子も報じられており、昭和の幕開けにあたっての厳かな空気が紙面を通じて伝わってくる。
元号の改元は形式だけでなく、こうした社会全体の感情の共有と儀礼の積み重ねによって、時代の境目が刻まれていくのだと感じさせられる歴史的記録である。