トラホームは「虎眼」?(S5.3.1岩手日報)
1930年3月1日
2025年8月2日
昭和5年(1930年)3月1日の『岩手日報』には、今ではあまり見かけない病名が登場する。それが「虎眼(とらめ)」、すなわちトラホームである。
記事によれば、水沢町(現・奥州市)では3月4日、徴兵年齢に達した壮丁者たちに対し、虎眼の検診が行われるという。
トラホームとは、クラミジア属の細菌によって引き起こされる感染性の結膜炎であり、感染を繰り返すことで角膜に障害が残り、視力障害や失明を引き起こすこともあった。明治から昭和初期にかけては、日本各地で流行し、「国民病」とも呼ばれた病気である。
とりわけ若年層の間での感染率が高く、徴兵検査や学校検診の場でまとめて検査されることが多かった。当時の国家にとって、徴兵対象者の健康状態、とりわけ視力や感染症の有無はきわめて重要な関心事であり、トラホームは兵役に適さない要因の一つとされていた。
徴兵検査にあわせて実施されたこうした検診は、軍事上の必要性とともに、当時の公衆衛生の実態も垣間見せてくれる。
新聞の片隅に載った短い記事ではあるが、「壮丁」「虎眼の検診」という言葉の背景には、昭和初期の社会制度と衛生環境が凝縮されているように思える。