炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日)
1935年3月1日
2022年5月27日
昭和10年3月3日の岩手日報より。
3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。
曰く「私をどこかに世話してください」と。
この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。
しかし、昭和8年の7月に病気で亡くなってしまったのである。
その翌年の昭和9年12月には、母までが病気で死んでしまった。
炭焼き仲間は非常に同情して、大船渡線矢越駅前の製版場に女中奉公で住ませることとした。
しかし、ずっと山だけで育ってきた娘に里のことなど分かるはずもなく、長続きせず50銭銀貨を1枚渡されて「一関で製糸工場で女工にでもなれ」と荷物のように送られてきたのである。
これには、警察署長も大いに同情して、雇い主を探したが、一関町地主町の旅館で世話してくれることになったと言う。