聞け!映画「原爆の子」に寄せる巷の声(昭和27年9月11日)

昭和27年9月11日の岩手日報より。

サンフランシスコ講和条約までは、日本に国家主権はなく「occupied  Japan」だったため、アメリカを批判するようなことは報道できなかった。

それで、原爆被害も大っぴらに報道することはできなかったのだ。

しかし、講和で独立を勝ち取ると、それを大っぴらにすることができるようになった。

それで、映画「原爆の子」は公開の運びとなったのだ。

盛岡市内からも、いろいろな声が寄せられている。

 

 


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