安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ!
1956年1月4日
2021年11月29日
昭和31年1月4日の岩手日報より。
この昭和31年は申年であり、猿に関する記事が多くみられたが、初代民選知事の国分謙吉には夢があったという。
それは、安家村(現:岩泉町)の山奥で、ペット用に猿を放牧してはどうかというものであった。
犬や猫のように「愛玩動物」として猿を繁殖させようというのである。
明治初年には、安家岳には無数にサルがいたのだという。
これが明治20年代になると、新式の村田銃で一斉射撃されほとんどいなくなったのだという。
現在ではごく少数が木の実を食べて暮らしており、シラクズツルやブドウの実を蓄えて原始的な酒を造っているともいわれていた。
国分氏は「九州の別府のサル山のサルを分けてもらって安家岳に放せば増殖することは間違いない。何年か禁漁区にすれば、大きいのでは4貫(15kg)、普通2貫(7.5kg)のサルを愛玩用にすることができるだろう」と言っている。
今の視点で考えれば、山の中で猿を繁殖させれば農業被害になるのが目に見えているような気がするし、猿をペットにするというのは一般的だったのだろうかという気がしてならない。