「神主打法」松竹ロビンスの岩本義行は一時期、水沢駒形倶楽部にいたことがある(昭和31年1月5日)
1956年1月5日
2022年1月1日
昭和31年1月5日の岩手日報より。
見出しは「岩本(水沢駒形)東映監督に」とある。
この「岩本」とは、元祖「神主打法」で戦前から戦後のプロ野球で活躍した岩本義行その人である。
昭和28年に、洋松ロビンスを最後にプロ野球を引退し、宮城県登米郡上沼村(現:宮城県登米市)で石灰石鉱山を経営していた父の後を継いでいたという。
これを、鉱山業仲間でもあった水沢駒形倶楽部の監督がコーチとして招聘したものが岩手との縁である。(Wikipediaでは「アマチュア・水沢駒形野球倶楽部に所属したのは、仲良しの小西得郎が、あまりに悲惨な岩本一家の暮らしを心配し、仙台の野球人や新聞社に繋がりをつけたためである」とある。根拠は小西の著書)
岩本は水沢駒形倶楽部では選手としても活躍し、昭和30年の都市対抗野球では、富士鉄釜石の補強選手にもなったという。
この岩手日報の記事は、東映フライヤーズの監督に声が掛かったというもの。