弘前大学に野辺地分校?
1958年4月19日
2021年10月9日
昭和33年4月19日の読売新聞岩手版には、大学合格者情報が載っている。
久慈高校から弘前大学教育学部野辺地分校に二次募集で1名合格したことが報じられている。
弘大って野辺地分校なんてあったんだ・・・
Wikipediaを探してみるとすぐに行き当たった。
(Wikipedia「青森青年師範学校」より)
話は戦前に遡る。
昭和24年の学制改革前は、小学校(というか国民学校か)を卒業すると、中学校、高等女学校などの他に「青年学校」という選択肢があった。
これは、小学校を卒業して働く人のために教育機会を与えるものであったという。
この「青年学校」の教員を養成するのが「青年師範学校」であり、青森県にある青森青年師範学校は、もともとは青森市内にあったものが、昭和20年7月の空襲で野辺地町に移転したのだという。
これが学制改革後も野辺地に残り「弘前大学野辺地分校」として2年制過程が置かれたのだという。
それも1960年3月に廃止になったとのこと。