釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日)
昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。
釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。
昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・
ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。
(強調部分は当ブログ管理人による)
国道仙台・八戸線と県道盛岡・釜石線にまたがった釜石市のノド笛で、交通量は一日一万台以上の車が通り数万人が往復している主要橋なため早期対策が望まれている。なお。大渡橋と並行している橋上マーケットの橋脚も鉄筋が露出していることから根固め工事で修復に入る。
建設事務所の話 すぐ落橋するほどの傷みではない。だが放置されず七の橋も復旧したので大渡橋は今年中に修復する考えでいる。橋巾を広げた継ぎ目が原因だが、今のうちに修理するのが有効だと思う。ただ架け替えについては国鉄ガードが低いという問題、道路を矢の浦の方に切り替えるという話もあり、永久的に現在の場所が妥当かどうかという問題もあろ。とにかく放置できないのでできるだけ早く実施したい。
昭和36年はまだ「一級国道」「二級国道」の時代で、「国道45号線」という表現は出てこない。
というか、まだこの時期は「二級国道111号線」だった時代であり、一級国道45号線に昇格するのは昭和38年4月1日のことである。
また、県道盛岡・釜石線は現在の国道283号線のことであり、国道指定は昭和45年4月1日のこととなる。
また、写真上の奥には橋上市場が見えるが「橋上マーケット」という表現をしている。
そして「国鉄ガードが低い」という問題がその後も改善されず、昭和末期に小学生だった頃、この釜石駅側の「国鉄ガード」は、高さ制限が「3.7m」という標識があり、個人的に「さんてんななめーとる」と呼んでいた記憶がある。
釜石駅を降りて釜石市民病院に行くにも、丸光デパートに行くにも、この橋を通って行ったのだ。(橋上市場を通っていったこともあるけど)