シベリア抑留からの第2次帰還者が盛岡に到着(S29.3.24岩手日報)
昭和29年3月25日付の岩手日報は、シベリア抑留という長い苦難を経て、第2次ソ連帰還者たちが故郷の土を踏んだ日の様子を克明に伝えています。

帰還者たちは、3月23日の22時49分に上野駅を出発した準急209列車に乗り、翌24日に盛岡駅へと到着しました。深夜のホームで彼らを待っていたのは、10年という歳月がもたらしたあまりにも残酷で、そして切実な再会のドラマでした。
「労苦の顔に男泣き」という言葉の通り、駅舎は帰還者と家族の涙で溢れ返りました。しかし、この第2次帰還者たちの姿には、終戦直後の第1次帰還時とは異なる特徴がありました。それは、軍服姿ではなく背広姿が目立っていたことです。これは、終戦時に南樺太にいた民間人が、職場や日常の場からそのまま連行され、抑留されたケースが多かったことを物語っています。かつて岩手や樺太で平穏な日常を生きていた市民としての証しである背広を、彼らは過酷な収容所生活の中でも大切に守り抜き、10年の時を経て再び身に纏って帰ってきたのです。
しかし、ようやく辿り着いた安住の地で、彼らを待ち受けていたのは手放しの喜びだけではありませんでした。紙面には「車中の喜び、悲しみ」という一文とともに、再会の場で行われたあまりにも過酷な話し合いの記録が残されています。それは、生死もわからぬまま夫を待ち続けた妻が、生活のために別の男性と再婚していたという現実でした。10年の歳月は、家族の形を根底から変えてしまっていたのです。
それに対し、帰還した男性は「妻を悪くは思わない。運命のいたずらだと思って諦めるしかない」と、静かに、そして殊勝に語ったといいます。死線を越えて帰ってきた男が漏らしたこの言葉には、怒りや恨みを超えた孤独と、理不尽な運命を受け入れざるを得なかった当時の日本人が背負わされた悲しみ、そして人間としての気高いまでの悟りが凝縮されています。
