新帝陛下が初の東京御帰還(S元.12.29岩手日報)
1926年12月29日
2025年7月29日
昭和元年12月29日付の岩手日報には、葉山から東京駅に御帰還あそばされた新帝・裕仁陛下の御模様が、厳かに報じられている。写真には、東京駅のホームに御召し列車が到着し、関係者が深々と頭を垂れて陛下をお迎えする光景が映されている。厳寒の空気の中、昭和の御代の始まりを象徴する静謐な一瞬である。
陛下が葉山に滞在されていた理由は、大正天皇の最期を看取るためであった。大正天皇は晩年、沼津や葉山の御用邸で療養生活を送られており、とくに昭和元年(大正15年)末には病状が悪化。12月25日午前1時25分、葉山御用邸にて崩御された。これにより、摂政であった皇太子・裕仁親王が直ちに践祚し、新たに第124代天皇として即位されたのである。
当時、地方紙にこうした写真が掲載されること自体、きわめて特別なことであった。昭和元年時点では、通信社による電送写真技術はまだ存在せず、東京で現像された印画を郵送で岩手に届けたものと思われる。紙面に写る御召し列車の姿はぼんやりとしているが、それゆえにかえって時代の重みがにじみ出ているようにも感じられる。
なお、この時期の御召し列車を牽引していたのは、おそらく国鉄18900形蒸気機関車(昭和3年にC51形に改番)であろう。C51形は、当時の国産機関車の中でもとくに高速性能に優れた「花形機」であり、御用列車にふさわしい威厳と美しさを備えていた。
この写真は、天皇陛下の御帰還という国家的な儀礼を記録したにとどまらず、戦前昭和という新しい時代の始まりを地方の読者に強く印象づけた文化資料でもある。葉山から東京へ、そして全国へ――新帝の「おかえりなさい」を、国民はこうして紙面を通して迎えたのである。