花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(S元.12.26岩手日報)
1926年12月26日
2025年7月30日
昭和元年、岩手県紫波郡では深刻な旱魃(干害)が発生し、農作物に甚大な被害が出た。この災害は新聞などでも広く報じられ、県内外から支援と同情の声が寄せられていた。
そうした中、花巻市湯本地区(当時の稗貫郡湯本村)の湯本尋常高等小学校では、赤十字少年団に所属する5人の児童が「自分たちにもできることを」と考え、学校内で米の寄付を呼びかけた。その呼びかけに応じて、2斗2升(約33kg)もの米が集まった。
彼らはその米を一俵にまとめ、自ら背負って雪の山道を5里(約20km)歩き、紫波郡日詰町の警察署に届けた。そして「飢えている幼い友達に分けてください」と申し出たのである。
この行動に接した赤石村長は深く感動し、感涙したという。そして、「この美しい行為は、ぜひ校長先生にも伝え、児童たちに話して聞かせるように」と語った。これは、おそらく被災地側の学校関係者に向けての言葉だったと思われる。
この出来事は昭和元年12月26日の『岩手日報』にて、「雪の山路を越えて 飢と寒さに泣く幼き友へ」「美しい心の五少年」と大きく報じられた。
昭和の始まり、雪深い岩手の地で見せた、幼き者たちの思いやりと行動力。その純粋な心は、時を超えて今も胸を打つものである。